西暦501年〜520年

500年頃
アンデス中央高地栄えたワルパ文化とティワナク文化が時とともに合一し、ワリ文化が登場する。
文明学上は900年頃のティワナク文化とワリ文化を、異なった文化として明確に定義している。
502年:壬午
梁が斉の皇帝から禅譲され建国、中国の南朝が斉から梁にかわる。
4月、梁の武帝、王朝樹立に伴い、倭王武(雄略天皇)を征東大将軍に進号する。(『梁書』武帝紀より)
503年:癸未
「癸未年八月」の干支銘をもつ人物画像境が和歌山県橋本市の隅田八幡宮に伝わる。(癸未年を443年とする説もある。)
504年:甲申
東ゴート国王テオドリックがゲピド族をカルパティア山脈周辺から放逐する。
506年(継体天皇元年):丙戌
3月3日、継体天皇即位(当時五七歳)。場所は日本書紀に拠ると、樟葉宮(くすばのみや、大阪府枚方市楠葉丘の交野天神社付近が伝承地)で即位。 古事記によれば袁本杼命(おおどのみこと)、日本書紀によれば男大迹王(おおどのきみ)、彦太尊(ひこふとのみこと)とそれぞれで相違がある。 同時に蘇我氏が勃興する。諸説では、継体天皇は応神天皇の末裔であるとされている(現在の天皇家の血筋の粗)。ちなみに継体天皇の父は越前国の三国坂中井(福井県坂井郡三国町・坂井周辺)の彦主人王であり、母は近江国の高島郡三尾(滋賀県高島郡安曇川町)の垂仁天皇七世の孫である振姫である。 前述のとおり、『ホツマツタへ』は、ここで伝えられていたものである。 時の武烈天皇に後継者がなく、大連(おおむらじ)大伴金村らが越前に赴いて推戴し、58歳にして河内国樟葉宮(くすばのみや)にて即位。武烈天皇の妹にあたる手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后とする。 20年の時を要して遂に大和入りした。その後、九州で筑紫磐井の反乱があり平定に苦心している。後継を安閑天皇に日本で初めて禅譲し、その即位と同時に崩御している。 古事記では丁未527年4月9日、日本書紀では辛亥531年2月7日または甲寅534年とされる。

樟葉(くずのは)について 三枚の樟葉をひとつにした紋を、樟葉紋という。 これは、島根県出雲市にある、日御崎神社(伊勢神宮を「日出宮」とするところの対宮「日入宮」という別称がある)の裏手にある山から、ちなんだものである。 この山の頂上に樟の木があり、建速素戔嗚尊が亡くなられてから、この頂上の樟の木にお隠れになったという伝承がある。 日本全国にある樟葉紋は、ここが発祥であり、樟葉に関連したものは、密かに日本国を守護しているという伝説がある。
男大迹王が河内国樟葉宮にて継体天皇として即位。
鍾離の戦いで、梁が北魏に勝利する。
ブイエの戦いでフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。
507年頃(継体天皇二年):丁亥
バーミヤンの大仏(東大仏)が建造される(西大仏は551年頃)。
507年〜511年頃
フランク国王クロヴィス1世のもとで「サリカ法典」が編纂される。
508年(継体天皇三年):戊子
???
509年(継体天皇四年):己丑
???
510年(継体天皇五年):庚寅
大明暦が官暦に採用される。 エフタルのトラマーナ王と続くミヒラクラ王がインドにたびたび侵入する。
511年(継体天皇六年):辛卯
10月、筒城宮(つつきのみや、現在の京都府京田辺市多々羅都谷か)に遷す。
フランク国王クロヴィス1世が死去し、領土はソワソン・パリ・ランス・オルレアンの各王国に分割される。
512年(継体天皇七年):壬辰
百済は日本に使者を派遣し、任那の四つの県(全羅南道地域)を割譲できないかともちかける。倭が朝鮮半島内の領土・任那4県を百済に割譲。 百済から五経博士が来日。
五行大義と六〇干支(十干/十二支)、陰陽五行思想が日本に伝えられる。
『ウィーン写本』が作成される。古代ローマの医師ディオスコリデスが著した『薬物誌』の写本のひとつで、西ローマ帝国の皇女であった貴婦人アニキア・ユリアナ(英語版)(462年 - 527/528年)に献上されたもの。
513年(継体天皇八年):癸巳
百済はさらに東に侵攻する。
大伽邪(伽邪諸国をまとめる中心的国家。その中心が伴跛(はへ)という都)は百済の動きに反発し、ヤマト朝廷に救援を求めるが、ヤマト朝廷は百済に加担する。 百済より五経博士が日本に来る。
514年:甲午
中国南京市玄武区の紫金山の南麓に開善寺の創建。
515年:乙未
北魏で大乗の乱が起こる。
516年:丙申
北魏の都洛陽に永寧寺が創建される。
518年(継体天皇一二年):戊戌
3月、弟国宮(おとくにのみや、現在の京都府長岡京市今里付近か)に遷す。
梁の僧祐、『弘明集』を撰述。 ガリラヤ湖畔のベト・アルファのシナゴーグの床モザイク壁画が作成される( - 527年)。
519年:己亥
梁の慧皎、『高僧伝』を撰述。 チェルディッチ、ブリタンニアにウェセックス王国を建設
520年:庚子
インドのグプタ朝が分裂し統一王朝は崩壊。グプタ朝の版図は北ベンガルとビハールに限定される。
北魏の使者である宋雲と恵生がバダフシャン付近でエフタル王ミヒラクラに謁見する。
ラヴェンナに東ゴート国王のためのテオドリック廟が建立される。