西暦561年〜580年

562年(欽明天皇二一年):壬午
任那(大伽耶)、新羅により滅亡する。
高句麗の南下政策を発端に、新羅・百済の侵攻に遭い、伽邪(韓)国が滅亡する。
このころ、大和朝廷が任那からの影響力を失い、新羅が任那を圧迫しており、百済の弱体化もあり、その勢力を維持できず新羅に勢力圏を明け渡した時期とも考えられる。 任那地方を含む加羅諸国が新羅の支配下におかれ,日本の勢力は後退する。
カラクムルの「空を見る者」王がティカルのワク・チャン・カウィール王を倒しマヤの覇権を握る。
563年:癸未
発生日時不詳、レマン湖にて津波が発生(トレデュナム・イベント)。ジュネーブの城塞付近まで到達し、死傷者多数。
565年:乙酉
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が死去。
567年:丁亥
ゲピド王国がランゴバルド人に征服され、国王クニムンドが殺害される。 ホスロー1世がエフタルを滅亡させる。
568年:戊子
ランゴバルド人がイタリアに侵入し、ランゴバルド王国(ロンバルド王国)を建国。
慧思が南岳衡山に入る。
570年:庚寅
ムハンマド(ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ)が生まれる。
福岡県福岡市西区の元岡古墳群G6号墳に納められた象嵌入り鉄製大刀に、「大歳庚寅正月六日庚寅」の日付が現れる(2011年9月21日、福岡市教育委員会発表)。「大歳庚寅」は西暦570年にあたり、1月6日(旧暦)は、ユリウス暦の1月27日である。これは暦使用の実例としては日本最古の文字であり、宋からもたらされた元嘉暦だとされている。
571年(欽明天皇三十二年):辛卯
額田部皇女(ぬかたべのひめみこ:後の推古天皇。謚号は豊御食吹屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)という)が、十八歳で異母兄・渟中倉太珠敷皇子(第30代敏達天皇)の妃となる。
欽明天皇、最後まで任那復興を夢見ながら亡くなる。
572年(敏達(びだつ)天皇元年):壬辰
4月30日(敏達天皇元年4月3日)、第30代天皇・敏達天皇が即位 名を『古事記』では、沼名倉太珠敷(ぬなくらふとたましき)命という。 『日本書紀』では、渟中倉太珠敷天皇(ぬなくらのふとたましきのみこと)という。欽明天皇29年(古事記では15年)に皇太子になり、欽明天皇32年(572年)4月に欽明天皇が亡くなると、4月3日に即位した。 即位すると、百済大井宮(大阪府河内長野市もしくは奈良県北葛城郡広陵町)に遷都した。物部守屋がそのまま大連(おおむらじ)を引き継ぎ、蘇我馬子が大臣(おおおみ)になった。 欽明天皇の遺言である任那復興のことを気にし、百済と協議していたがなかなか進展はなかった。同時に新羅とも通交し任那の調を受け取っていたと記されている。
573年:癸巳
ウェールズにてアルスレッドの虐殺、発生。(カンブリア年代記)
574年:甲午
中国、北周において、武帝による廃仏が断行される(三武一宗の廃仏の第2回目)。
575年:乙未
智顗が初めて天台山に入る。
576年(敏達(びだつ)天皇五年):丙申 先の皇后が亡くなったため新たに皇后を立てる事になり、額田部皇女を皇后に立てた。 菟道貝蛸皇女(聖徳太子妃)、竹田皇子、小墾田皇女(押坂彦人大兄皇子妃)、尾張皇子(聖徳太子の妃橘大郎女の父)、田眼皇女(田村皇子妃)ら二男五女を儲けた。
577年:丁酉
百済から造仏・造寺工が伝わる。
北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。
578年:戊戌
現存する世界最古の企業である金剛組が創業。
580年:庚子
新羅、調を献ずるが、朝廷は拒否する。
北周の宣帝が、仏教を復興する。
580年ごろ
スラブ人が北ギリシャに侵入する。