西暦601年〜620年

601年:辛酉
厩戸皇子(聖徳太子)が斑鳩宮(いかるがのみや)を造る。任那回復のため、高句麗と百済に遣使する。
隋の文帝によって、中国各地に仁寿舎利塔の造立が開始される。
カンタベリーに大司教座が設置され、カンタベリーのアウグスティヌスが初代大司教に就任する。
602年(推古天皇十一年):壬戌
撃新羅将軍を任命し、国造・郡司らの軍2万5千を動員する。
10月、百済から百済の僧・觀勒が来日し、聖徳太子をはじめとして選ばれた34名の官僚に陰陽五行説を含む諸学を講じる。暦本や天文地理などの書物を伝える。 その思想が日本の国政に大きな影響を与えるようになり、初めて日本において暦(元嘉暦)が官暦として採用されるようになる。
東ローマ皇帝マウリキオスがフォカスに帝位を簒奪され処刑される。
603年(推古天皇十二年):癸亥
新羅攻撃を中止する。
小墾田宮(おわりだのみや)に遷る。 聖徳太子が、冠位十二階を制定する。 また、詔として「三宝(仏・法・僧)を敬うべし」を発する。
11月、秦河勝が山城国(現、京都市北区平野神社付近)に広隆寺を創建。
604年(推古天皇十三年):甲子
聖徳太子が、憲法十七条を制定する。 冠位十二階制を施行する。 朝礼を改める。
中国隋で煬帝が即位する。
605年:乙丑
中国の煬帝が大運河の建設を命じる。 隋で科挙試が開始される
606年:丙寅
ハルシャ・ヴァルダナ、北インドにヴァルダナ朝を建国。
アクイレイア総大司教がアクイレイアのランゴバルド派とグラードのラヴェンナ派(東ローマ派)に分裂する。
607年(推古天皇十五年):丁卯
推古天皇が、仏法や陰陽五行思想・暦法などを吸収するために、隋に向けて遣隋使の派遣が検討される。
3月、ハレー彗星が日本などで観測される。 小野妹子を隋に派遣し、翌年からは入隋の使節に学問生・学問僧を同行させた。また、推古二年に出された、三宝(仏・法・僧)を敬うべしという詔が示しているように、女帝は太子や馬子と共に仏法興隆にも努め、斑鳩に法隆寺を建立させたりした。 国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」と記し煬帝が激怒。 国ごとに屯倉を置く。
法隆寺が創建される(『上宮聖徳法王帝説』ほか)。
ランゴバルド王アギルルフォが王妃テオドリンダの勧めでカトリックに改宗する。王妃テオドリンダにより「ロンバルディアの鉄王冠」が整備され、モンツァ大聖堂が造営される。
608年(推古天皇十六年):戊辰
小野妹子、隋使裴世清(はいせいせい)らとともに帰国する。隋使、朝廷に参内し、帰国する。小野妹子また隋に遣わされる。この時、旻(みん)法師、高向史玄理(たかむくのくろまろ)、小野妹子(おののいもこ)、遣随使として随に渡る。
東ローマ皇帝フォカスがローマ教皇ボニファティウス4世にパンテオンを奉献。この記念にフォロ・ロマーノにフォカスの記念柱が建てられる(ローマ皇帝によるローマ市の記念物としては最後のもの)。 カルタゴ総督ヘラクレイオス(父)が東ローマ皇帝フォカスに反乱を起こす。
609年:己巳
小野妹子ら帰国する。
610年:庚午
隋に使を派遣する。
3月、高句麗の僧・曇徴と法定が来朝する。
中国(隋)の京杭大運河が完成。
カルタゴからヘラクレイオス(子)がコンスタンティノポリスに進軍。フォカスが処刑され、ヘラクレイオスが東ローマ皇帝に即位(ヘラクレイオス朝の成立)。
ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフがイスラム教を興す。
修道士コロンバヌスがフランク王国(ブルグンド)から追放される。
611年:辛未
聖徳太子によって著されたとされる『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)のひとつ「勝鬘経義疏」(勝鬘経)が完成。(有力説)
隋が高句麗遠征を開始(- 614年)。失敗に終わる。
613年:癸酉
11月、難波より大和に至る大道を造る。
隋で楊玄感の乱。
サーサーン朝のホスロー2世が東ローマ帝国領シリアを占領。
ネウストリア王クロタール2世がアウストラシア摂政ブルンヒルドを倒してフランク王国を統一し、首都をパリに定める。
614年:甲戌
6月、犬上御田鍬らを隋に派遣する。
パリ勅令がクロタール2世によって出される。アウストラシア・ブルグント各分王国では宮宰が国王の代理人となり、その特別な地位が認められるようになる。
サーサーン朝のホスロー2世が東ローマ帝国領エルサレムを占領する。
ムハンマドが「神の使徒」として伝道を開始する。
615年:乙亥
9月、犬上御田鍬ら帰国する。
聖徳太子によって著されたとされる『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)のひとつ「維摩経義疏」(法華経)が完成。(有力説)
616年:丙子
新羅、仏像を貢進する。
河内国(大阪府)の狭山池の樋管に使われた木材が伐採される(年輪年代測定法で判明)。これより、狭山池の構築が同年と推定。
617年:丁丑
6月、隋末の混乱の中、李淵が太原で挙兵して南下する。
11月、李淵の軍が大興城を陥とす。
サーサーン朝が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを包囲。
618年:戊寅
李世民、秦王に、尚書令となる。
煬帝が宇文化及に殺害され隋が滅亡する。
李淵が唐を建国。
コンスタンティノポリスでの都市民への穀物支給の廃止(「パンとサーカス」の終焉)。
619年:己卯
唐で、戊寅元暦が使われ始める。
620年(推古天皇二八年):庚辰
聖徳太子と蘇我馬子が「天皇記」「国記」「臣連伴造国造百八十部并公民等本記」を編纂して献上する。
太陽によるフレアストームが発生。 奈良でオーロラが観測される。 天に赤気が現れ長さは一丈(約3.8 m)あまり、雉の尾のようであったと記録が残る。