西暦681年〜690年

681年(天武天皇十年):辛巳
3月19日(天武天皇10年2月25日)、飛鳥浄御原宮律令の制定を命じる。草壁皇子を皇太子に立てる。
4月9日(天武天皇10年3月16日)、川島皇子・忍壁皇子らに歴史書の編纂を命令 
アスパルフが第一ブルガリア帝国を建国し、プリスカを都に定める。
682年(天武天皇一一年):壬午
4月14日(天武天皇11年3月2日)、陸奥国の蝦夷22人に爵位
5月10日(天武天皇11年3月28日)、服装に関する禁令を発し、従来の日本古来の冠・衣服を禁じ、中国の制度に変更
6月3日(天武天皇11年4月23日)、男子の髷、女子の垂髪を禁止
6月22日(天武天皇11年5月12日)、倭漢直ら、姓を賜わり連となる
8月11日(天武天皇11年7月3日)、薩摩隼人、大挙して朝廷に献上のため上京、相撲を披露
9月(天武天皇11年8月)、流星、虹などの異常現象や地震などが相次いで発生
10月5日~10月6日(天武天皇11年8月28日~29日)、氷高皇女が病にかかり、特赦を行い、140人余りを大官大寺に出家
10月8日(天武天皇11年9月2日)、宮中での跪礼・匍匐礼を禁止、唐風の起立礼を用いる詔 東突厥の阿史那骨咄禄が唐の羈縻政策を脱して可汗を名乗り、第二可汗国が成立する。
683年(天武天皇一二年):癸未
3月4日(天武天皇12年2月1日)、大津皇子、朝政を聴く
4月3日(天武天皇12年3月2日)、僧に関する制度を制定、僧正・僧都・律師の位が設けられる
5月16日(天武天皇12年4月15日)、銀銭を廃止し銅銭の使用を命じる(富本銭)
5月19日(天武天皇12年4月18日)、銀銭の使用を止めないよう命じる メッカにてイブン・アッズバイルがカリフを名乗る。ウマイヤ朝が反乱軍と激突しメッカのカーバ神殿が炎上(アルハッラーの戦い)、第二次内乱( - 692年)が勃発。 マヤのパレンケ「碑文の神殿」の地下室にパカル王が埋葬される。 唐の皇帝高宗が没し、息子の中宗が継ぐ。
684年(天武天皇一三年):甲申
9月7日(天武天皇13年7月23日)、ハレー彗星が観測される(日本国内では最古の記録)
11月13日(天武天皇13年10月1日)、八色の姓を制定
11月26日(天武天皇13年10月14日)、未曾有の大地震(白鳳地震、推定M8~9)が発生し、諸国で民屋や官舎が倒潰、津波など甚大な被害。南海トラフ巨大地震とされる。確認できる日本書紀による日本最古の津波記録。 唐の中宗が退位させられ、睿宗が即位。李敬業の反乱。
685年(天武天皇一四年):乙酉
3月1日(天武天皇14年1月21日)、冠位四十八階制定
4月、浅間山が噴火。
5月5日(天武天皇14年3月27日)、国々で家毎に仏舎を作り仏像と経典を置いて礼拝せよとの詔
8月31日(天武天皇14年7月26日)、朝服の色が初めて定められる
10月27日(天武天皇14年9月24日)、天武天皇が病を得たため、大官大寺・飛鳥寺・川原寺にて3日間の読経
686年(朱鳥元年):丙戌
天武天皇、崩御。 持統天皇が即位。
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持統天皇は、「うののさらら」という名である。国風諡号は大倭根子天之広野日女尊(おおやまとねこあめのひろのひめのみこと)または高天原広野姫天皇(たかまのはらのひろのすめらみこと)。 天智天皇の娘で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、遠智娘(おちのいらつめ)。同母姉の大田皇女とともに父の同母弟である大海人皇子(後の天武天皇)の妃となった。その正妃となり、草壁皇子を設けた。 天智天皇の晩年、夫大海人皇子と父天智天皇の間が皇位継承をめぐって悪化した。大海人は東宮を辞し、天智の死後は大和国吉野に遁れた。持統はともに吉野へ落ち、壬申の乱の間吉野で過ごした。持統はのち天皇に即位してからもたびたび吉野に遊んでいる。 夫が即位するとその皇后となった。草壁皇子を皇太子としたが即位する前に早世、夫の死後数年を経て女帝として飛鳥浄御原宮で即位した。
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天武天皇が病を得た際に占いで草薙剣による祟りだと見なされたため、剣を尾張国の熱田社(現・愛知県名古屋市の熱田神宮)に送り置いた。
6月20日(天武天皇15年5月24日)、天武天皇重態。川原寺で薬師経を説かせ、僧を宮中に安居。
7月29日(天武天皇15年7月4日)、全国に課す調を半減、徭を免除。
8月9日(天武天皇15年7月15日)、政を皇后・皇太子に託す。
8月16日(朱鳥元年7月22日)、元号を朱鳥(すちょう)に改元。
10月1日(朱鳥元年9月9日)、天武天皇崩御。第41代天皇・持統天皇が称制
10月 - 大津皇子の変。
12月6日(朱鳥元年11月16日) 、大来皇女、斎王の任を解かれ退下。 藤原不比等を摂政として抜擢する。
687年(持統天皇元年):丁亥
10月9日(持統天皇元年8月28日)、高僧300人が飛鳥寺に召され、天武天皇の衣を使って縫った袈裟を賜わる
テルトリーの戦いで、カロリング家のアウストラシア宮宰ピピン2世(中ピピン)がネウストリア宮宰ワラットを倒し、フランク王国の実権を握る。
688年(持統天皇二年):戊子
ウェセックスの国王キャドワラ、王位を退位。ローマへ巡礼の旅に出る。
689年(持統天皇三年):己丑
草壁皇子が亡くなり、その後、高市皇子も亡くなった。 飛鳥浄御原令を発令。浄御原令を分かつ。
1月26日(持統天皇3年1月1日)、人民を大極殿に朝賀させる
3月9日(持統天皇3年2月13日)、防人を任期制・交代制とする
690年(持統天皇四年):庚寅
持統天皇即位。 伊勢神宮の外宮で第一回の式年遷宮を行った。 戸令により庚寅年籍をつくる。
1月23日(持統天皇3年12月8日)、持統天皇、双六を禁止
2月14日(持統天皇4年1月1日)、天武天皇の崩御後、称制していた鸕野皇女が即位して、正式に第41代天皇・持統天皇となる
8月11日(持統天皇4年7月1日)、官人の朝服が新たに切り替わる
12月5日(持統天皇4年10月29日)、高市皇子、藤原新都の予定地を視察
唐で3代皇帝高宗の皇后(則天武后)が帝位につき、国号を周とし、自ら聖神皇帝と称し、「天授」と改元する。(武周朝の成立)
唐王朝は一時断絶。