西暦711年〜720年

711年(和銅四年):辛亥
伏見稲荷建立。 上野国に多胡郡が設置される(日本三大古碑の一つとされる多胡碑建立)。
ウマイヤ朝がグアダレーテの戦いで西ゴート王国を滅ぼしイベリア半島を占領。
東ローマ皇帝ユスティニアノス2世が殺害され、ヘラクレイオス朝が断絶する。
712年(和銅五年):壬子
『古事記』完成。
太安万侶(おおのやすまろ)、『古事記』を撰上する。 出羽国を新たに設置。
唐で李隆基が玄宗として即位。唐は最盛期を迎える(開元の治)。
ウマイヤ朝のクタイバ・イブン・ムスリムがサマルカンドを占領し、マー・ワラー・アンナフル全域の征服完了。
713年(和銅六年):癸丑
諸国に「風土記」の編纂を命ずる。国・郡・郷名に好字選ばせる。
唐の玄宗が勅によって、長安城内・化度寺の無尽蔵院(三階寺院)を破壊させる
震国が国号を渤海と改称。
西ゴート王国の残党勢力が滅亡。
714年(和銅七年):甲寅
『続日本紀』に奄美・信覚(現在の石垣島)・球美(現在の久米島)などの人々が来朝したとされる。
8月9日(和銅7年6月25日)、首皇子が立太子
唐で最初の市舶司が広州に設置される。
715年(霊亀元年):乙卯
元号が「霊亀(れいき)」に変わる。
自身の老いと首皇子(後の聖武天皇)がまだ若いと言う理由で娘の氷高(ひたか)皇女(元正天皇)に譲位する。
元正天皇が即位する。
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父は草壁皇子、母は元明天皇。文武天皇の姉。氷高(ひたか)皇女。 日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)とも言う。 首(おびと)皇子(聖武天皇)がまだ若い為、元明天皇から譲位を受け即位。
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里を郷に改め、郷を2・3の里に分ける。
716年(霊亀二年):丙辰
阿部仲麻呂、吉備真備、僧玄昉ら、唐に留学。
717年(養老元年):丁巳
元号が「養老(ようろう)」に変わる。
この時より朝廷は、行基に対して禁圧を開始する。 藤原不比等らが中心と成って「養老律令」の編纂を始める。 百姓の違法出家を禁じ、行基の活動を禁圧。 大計帳・輪祖帳などの書式を定める
玄昉、吉備真備、阿倍仲麻呂ら557人を遣唐使に派遣。
テマ・アナトリコン長官であったレオーン3世が東ローマ皇帝に即位し、イサウリア朝を開く。
718年(養老二年):戊午
養老律令制定(施行は757年)
世界最古の旅館である法師が創業。
レコンキスタが始まる
東ローマ皇帝レオーン3世がコンスタンティノポリスを包囲したウマイヤ朝軍を撃退する。
719年(養老三年):己未
藤原不比等により、「大宝律令」に新たな修正を加えた「養老律令」が発布される。 畿内・西海道以外の諸国に、令外官として按察使を新設
720年(養老四年):庚申
王朝が平城京に遷都する。藤原不比等(このとき右大臣)の手により、『日本書紀』の編纂が完成する。 また、大友皇子に最期まで仕え、天武朝では遣新羅大使、文部朝では筑紫統領として活躍していた石上麻呂(物部麻呂。このとき左大臣)が、平城京遷都に際し、藤原不比等の策謀により、旧都(藤原京)の留守役として、生殺しの目にあったとされている。しかし、没年は七一七年ともいう説もあり、定かではない。 藤原不比等が病に倒れ亡くなった。
『日本書紀』完成。
舎人親王(とねりしんのう)、『日本紀』30卷・系図1卷を撰上する。
元明天皇、崩御。