西暦721年〜730年

721年(養老五年):辛酉
長屋王が右大臣に任命され、事実上政務を任される。不比等を継ぐ藤原房前(ふささき)は、未だ大納言であり、その後内臣(内大臣)になるが、長屋王に一歩出遅れてしまい、後の長屋王の変につながっていく。
722年(養老六年):壬戌
淡海三船(おうみのみふね)生まれる。
正確には「三舩」と書く。 名は御船とも書く。近江の三舩氏のご先祖である。 歴代の天皇の諡号・追号の由来のいくつかは、淡海三船によるものである。
閏4月25日、大和朝廷により、百万町歩開墾計画が掲げられる。主に奥羽に向け出された。良田百万町歩開墾計画とも呼ばれる。ただ、百万町歩という数字はほぼ不可能であり、ただの理想、スローガンであるともされている。
コバドンガの戦いでペラーヨがイスラム勢力からアストゥリアスを奪回(最初のレコンキスタ)。
723年(養老七年):癸亥
田地の不足を解消するために三世一身の法が制定された。これにより早くも律令制は崩れ始めていく。 太安万侶没する。
724年(神亀元年):甲子
元正天皇、皇太子(聖武天皇)に譲位した。
聖武天皇即位。
吉備内親王が二品に叙される。 陸奥国に多賀城を築く。
725年(神亀二年):乙丑
行基が淀川(山城国山崎-橋本間)に山崎橋を架ける。
唐の玄宗皇帝が、泰山で封禅の儀を執り行う。
726年(神亀三年):丙寅
東ローマ皇帝レオーン3世、キリスト教における聖像使用の禁止を命ずる。
ウェセックスの国王イネ、王位を退位、ローマへと巡礼の旅に出る。
727年(神亀四年):丁卯
普門寺が創建される。
渤海国王大武芸が高仁義らを日本に派遣(第一回渤海使)。
翌年には日本から遣渤海使が送られる。
728年(神亀五年):戊辰
唐、『初学記』の成立。
ローマ教皇グレゴリウス2世とランゴバルド王リウトプランドの領土寄進に関する合意がなされる(「スートリの寄進」)。
729年(神亀六年/天平元年):己巳
藤原氏の横暴に反発していた長屋王に「謀反の企みあり」と密告があり、長屋王、謀反の疑いで窮問されて自殺する(46歳)。長屋王は一家滅亡に追い込まれる(長屋王の変)。しかし『続日本紀』によれば、この密告は嘘の報告であったとある。
口分田を班田する。
京・畿内の班田使を任ずる。
諸国の防人を停止する。
光明皇后が王族以外で初めて皇后となる。
唐で、大衍暦が使われ始める。
730年(天平二年):庚午
朝廷の弾圧にも屈する事なく、逆に朝廷を脅かす勢力へとのし上がってきた行基一行に対して、朝廷はたまりかねて次のようにいう。
「平城京の東側の山に多くの人々を集めて妖言して人々を惑わす集団がいる。多いときには一万人、少ないときでも数千人もいる。これは深く法に違反している。もしこれからも取り締まる事なく逡巡していては害となるであろう。今後はそのようなことがないように」
唐の智昇、『開元釈教録』を撰述。