西暦851年〜860年

851年(仁寿元年):辛未
元号を仁寿(にんじゅ)と改める。
ジャングランの戦いで、ブルターニュ王エリスポエが西フランク王シャルル2世に勝利し独立を獲得。
1月、天下の諸神に一律に位階を授ける。
2月、清涼殿を移して、嘉祥寺の仏堂とする。
853年(仁寿三年):壬申
3月、諸国の国司・郡司に池堰を修築し、農業を催勧させる。
853年(仁寿三年):癸酉
2月3日 (仁寿2年12月22日)、平安時代の公卿であり学者、歌人であった小野篁が死去。
唐の商人欽良暉漂着。
4月、京畿内・畿外の天然痘流行の地の庸調の未納を許し、医薬を与える。
7月、円珍、唐商船で唐へ出発する。
854年(斉衡元年):甲戌
元号を斉衡(さいこう)と改める。
4月、陸奥国の農民、凶作により困窮し、兵士逃亡する。
855年(斉衡二年):乙亥
斉衡地震が発生。奈良の東大寺大仏の頭部が落下する。
1月、陸奥奥地の俘囚を警備するため、兵2千人遣わす。
3月、戸籍未登録者の京畿内での登録を禁ずる。
5月、地震により、東大寺盧舎那仏像の頭部が落下。
856年(斉衡三年):丙子
懐建可汗が唐から冊封を受けて天山ウイグル王国が成立する。
3月、大宰府、漂流した新羅人30人を帰国させたことを報ずる。
857年(天安元年):丁丑
元号を天安(てんなん)と改める。
1月、開元大衍暦経を廃し、五紀暦経を採用する。
2月、藤原良房が太政大臣となる。
3月、京・平城の群盗を捕獲する。
858年(天安二年):戊寅
藤原良房が臣下としては初の摂政となる。実質の権限がともなったのは、応天門炎上事件が発生して以後の事。
文徳天皇の治世中に藤原良房が権勢を強め、娘明子(あきらけいこ)を天皇に嫁がせ、惟仁(これひと)親王(清和天皇)を産ませていた。天皇は愛姫紀静子所生の第一皇子惟喬親王に期待したが、良房の圧力で惟仁を皇太子とせざるを得なかった。
5月、京中の洪水により穀倉院等の米穀・塩を窮民に与える。
6月、円珍帰国する。
10月7日(天安2年8月27日)、文徳天皇が崩御。惟仁親王が践祚し、第56代天皇・清和天皇となる。
12月15日(天安2年11月7日)、清和天皇が即位。
859年(貞観元年):己卯
清和天皇、文徳天皇の崩御に伴い、わずか9歳で即位。このため、藤原良房が外戚として政治の実権を握った。 平安時代に都の鬼門に当たると共に北陸への要衝の高野の地に御霊社として崇道神社が建立された。
唐で裘甫の乱が起こる。 南詔王世隆が皇帝を自称する。
2月、藤原良相、一族困窮者救済のため崇親院・延命院を造る。
4月、饒益神宝を鋳造する。
12月、粗悪な調庸物を貢進する国司を罰する。
860年(貞観二年):庚辰
行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。
ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される(ルーシ・ビザンツ戦争)。
10月、大隅国の吉田・野神の2牧を廃止する。諸国の禁野での狩猟を禁ずる。
『酉陽雑俎』の成立 南信州に『光前寺』が開山