西暦861年〜870年

861年(貞観三年):辛巳
日本で宣明暦が採用される。
唐で822年に作成された暦で、1685年の貞享暦への改定まで使用され続ける。
3月、陸奥国・出羽国より国外に馬を出すことを禁ずる。
5月19日(貞観3年4月7日)、武徳神社(現、福岡県直方市の須賀神社)に直方隕石が落下。
11月、武蔵国の郡ごとに検非違使を置く。
862年(貞観四年):壬午
伝説ではノルマン人ルス族(ルーシ族)の首長リューリクがノブゴロド公国を建国する。ロシア国家のはじまり。
3月、京畿内の出挙を停止し、田租を増し、租稲を雑用に充てる。
5月、山陽道・南海道諸国等に海賊追補を命じる。
863年(貞観五年):癸未
春、京畿内に咳逆病(がいぎゃくびょう)が流行する。これを御霊の祟りであるとして、 御霊神社にて怨霊を慰めるために御霊会が行われ、その後の御霊会の始まりとなり御霊信仰が生まれた。怨霊による厄災を避ける怨霊信仰から京都の人たちは、悪疫退散の祈願を御霊神社にするようになった。(『三代実録』)
東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。 ラ
ラカオン川の戦いで東ローマ帝国がアッバース朝アミールのウマル・アル=アクタに勝利。
ローマ教皇ニコラウス1世がコンスタンティノポリス総主教フォティオスを破門にする。「フォティオスの教会分裂」の始まり( - 867年)。
9月、生益奴卑の父母名を計帳に注させる。
貞観六年(864年):甲申
富士山貞観噴火。剗の海が埋没し富士五湖の西湖・精進湖が形成される。
伴善男は源信に謀反の噂があると言い立てる。
第一次ブルガリア王国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
カスピ海南岸にアラヴィー朝(ザイド朝)が成立。
コンクの修道士アリヴィスクスがアジャン教会所蔵の聖女フォワの聖遺物を窃取する( - 875年)。
1月、京畿内の出挙を復活する。
6月、貞観大噴火が起こる。この噴火は2年間に及ぶ富士山の大規模な噴火活動である。山頂から北西に約10km離れた斜面で発生した大規模な割れ目噴火。 長尾山ほか2、3のスコリア丘を形成し、膨大な量の溶岩を噴出させた。噴出物の総量は約14億m3にも及び、溶岩流は北西山麓を広く覆い尽くした末に、北麓にあった広大な湖・剗の海(せのうみ)の大半を埋没させた。 江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた宝永大噴火とともに、富士山の噴火災害の特異例として数え上げられ、文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われている。 なお、この噴火で埋没した剗の海の残片が現在の富士五湖のうちの2つ、西湖と精進湖であり、溶岩流の上に1100年の時を経て再生した森林地帯が青木ヶ原樹海である。
9月、市人が諸司諸院諸家に仕えることを禁止する。
865年(貞観七年):乙酉
デーン人がイングランド東部イースト・アングリアに上陸し各地を植民する。
春、昨年末ころから貼るにかけて、阿蘇神霊池が沸騰する。
6月、御霊会と称して私的に人を集めることが流行したので、朝廷がこれを禁ずる。
866年(貞観八年):丙戌
最澄、清和天皇より伝教大師(でんぎょうだいし)の諡号が贈られた。日本で初めての大師号である。以後「伝教大師最澄」と称される。円仁に「慈覚大師」の号が贈られる。
4月28日(貞観8年閏3月10日)、応天門の変がおこる。
応天門が焼亡。朝廷は大騒ぎとなり、盛んに加持祈祷を行った。ほどなく、伴善男は右大臣藤原良相に源信が犯人であると告発する。応天門は大伴氏(伴氏)が造営したもので、源信が伴氏をのろって火をつけたものだとされた。 藤原良相は源信の逮捕を命じて兵を出し、邸を包囲する。放火の罪を着せられた左大臣源信家の人々は絶望して大いに嘆き悲しんだ。 参議藤原基経がこれを父の太政大臣藤原良房に告げると、驚いた良房は清和天皇の奏上して源信を弁護した。源信は無実となり、邸を包囲していた兵は引き上げた。 8月3日、備中権史生の大宅鷹取が応天門の放火の犯人は伴善男とその子伴中庸であると訴え出る。鷹取は応天門の前から善男と中庸、雑色の豊清の3人が走り去ったのを見て、その直後に門が炎上したと申し出た。鷹取の子女が善男の従僕生江恒山に殺されたことを恨んでいたと言われる。(鷹取が子が善男の出納の子供と喧嘩して、その出納が鷹取の子を死ぬほど殴りつけたのを恨んでのことともされる。)鷹取は左検非違使に引き渡される。 天皇は勅を下して伴善男の取調べを命じた。伴善男、伴中庸、生江恒山、伴清縄らが捕らえられ厳しく尋問されるが(杖で打ち続けられる拷問を受けていた可能性もあり)、彼らは犯行を認めなかった。 9月22日、朝廷は伴善男らを応天門の放火の犯人であると断罪して死罪、罪一等を許されて流罪と決した。伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国に流され、連座した紀夏井らが処分された。また、この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために藤原良房が朝廷の全権を把握する事になった。 この事件の処理に当たった藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功した。
(藤原氏による他氏族排除の一環とする説も存在する。)
事件は国宝「伴大納言絵詞」にも描かれている。
867年(貞観九年):丁亥
東ローマ帝国でミカエル3世が暗殺されアモリア朝が断絶。
東ローマ帝国でバシレイオス1世がクーデターで単独皇帝に即位。マケドニア王朝を開く。
コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂アプシス半ドームの「玉座の聖母子像」のモザイクが造られる。
イランにサッファール朝が興る。
4月、前年の干魃により左右京に常平所を置き官米を売る。
5月、伊予国宮崎村の海賊追補を命ずる。
868年(貞観十年):戊子
唐で龐勛の乱が起こる。
エジプトにトゥルーン朝が興る。
ローマ教皇アドリアヌス2世、教会スラヴ語による聖書と典礼を認可。
日本三代実録巻一五によれば、毎月のように地震、特に7月から8月には連日地震。特に、旧暦7月8日には播磨国で官舎、諸寺堂塔ことごとく頽倒の記録。
6月、円珍を延暦寺座主とする。 この頃以降、惟宗直本「令集解」を著す。
869年(貞観十一年):己丑
第4コンスタンティノポリス公会議による総主教フォティオスの追放( - 870年)。
デーン人(大異教徒軍)との戦いでイースト・アングリア王エドマンドが殉教する。
イラクで黒人奴隷が反乱を起こす(ザンジュの乱)。
貞観地震発生。陸奥国を大津波が襲う。
3月17日(貞観11年2月1日)、貞明王(後の第57代天皇・陽成天皇)が立太子。
5月、新羅海賊、博多津の豊前国貢調船を略奪する(貞観の韓寇)。
7月9日(貞観11年5月26日)、東北地方で貞観地震が発生。
8月、続日本後紀が完成する。
9月、貞観格施行する。
870年(貞観十二年):庚寅
メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。
上総国で俘囚の乱。
1月、貞観永宝を鋳造する。
9月、新羅人20人を陸奥国等に配置する。
12月、29か条の制を出す。