西暦881年〜890年

881年(元慶五年):辛丑
在原行平が奨学院を創立
2月、イタリア王カール3世が西ローマ皇帝として戴冠。
3月、肥前国で斑田(口分田)実施される。
11月、渤海使、能登国に来着する。
882年(元慶六年):壬寅
オレーグがリューリクの子イーゴリを擁してキエフを占領し、キエフ大公国を建てる。
11月、渤海使、能登国に来着する。
12月、嵯峨野を禁野とし、禁野の制を厳しくする。
883年(元慶七年):癸卯
唐の皇帝僖宗が安化公主を南詔王隆舜に降嫁する。
5月、渤海使入京して天皇に拝謁する。
6月、筑後守、部下に殺される。
884年(元慶八年):甲辰
藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位。 第58代光孝天皇、即位。
藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位させられたので、基経が次の天皇を捜していたところ質素で清楚なところを気に入られ55歳で即位する。藤原基経を関白にし政務を執らせた。即位と同時に皇子を多く臣籍降下させたが、病を得て子源定省(さだみ)を親王に復し、立太子させた。 令外官として関白を新設。
王満渡の戦いで、黄巣が唐軍に大敗し逃亡、狼虎谷にて自殺する。
3月4日(元慶8年2月4日)、陽成天皇が譲位。時康親王が践祚して第58代天皇・光孝天皇となる。
3月23日(元慶8年2月23日)、光孝天皇が即位。
イスラエル/ナシュマンが12歳になった時、母親のレイチェルは、夫と共に、子どもがことばを話し始めますようにと祈り続けた。 その祈りは、子どもがまた話をし始めるまで続けられた。 ナシュマンは、ふたたび深遠な秘密を語り出した。そして、そのナシュマンの言葉は、この世に救世主がやって来る日までについての預言と関係していた。 彼の言葉は、アラム語で Nevuat HaYeled(子供の預言)と題された本に記録されている。 それらの預言を残した後に少年は亡くなった。
885年(仁和元年):乙巳
元号を仁和(にんな)に改める。
ノルマン人のパリ攻撃に対しパリ伯ウードやパリ司教ゴズランらが篭城戦(〜886年)。
宦官田令孜と節度使王重栄の対立から皇帝僖宗は鳳翔に逃亡。
黄巣軍によって長安を追われていた僖宗皇帝が、都に戻る。
6月、肥前国に来着した新羅使を帰国させる。
8月29日、薩摩国の開聞岳が大噴火。
886年(仁和二年):丙午
イングランド王アルフレッドがロンドンを奪還し、デーン王グスルムとの間で協定を結ぶ。
カルスを都とするバグラト朝アルメニア王国が独立。
5月24日、安房国(上総、下総)で大地震及び降灰(日本三代実録8月4日)の記述)、新島向山の噴火に比定する説が有力であるが、決定的な証拠を得るに至っていない。
10月、美濃国で斑田(口分田)実施される。
887年(仁和三年):丁未
光孝天皇が没し、第59代宇多天皇が即位(寛平の治)。
藤原基経が初の関白となる。これに絡み阿衡事件が起こる。 光孝天皇、病により崩御。 源定省(さだみ)親王、宇多天皇として即位。 一度、臣籍降下し、源氏の姓を賜った後に、実力者の関白藤原基経の後押しで887年(仁和3年)皇太子に立てられ、皇族に復帰する。これには宇多天皇が基経の異母姉である内侍藤原淑子の猶子であったことが大きい。8月26日立太子、同年光孝天皇が病没すると、11月7日に即位した。 第一皇子敦仁親王(のちの醍醐天皇)は、女御 贈皇太后藤原胤子の子。藤原胤子は内大臣藤原高藤女で、宇多天皇が若い時からの妻の一人。 藤原胤子の他、女御は藤原温子、橘義子、菅原衍子、橘房子。 藤原温子は基経の女で、宇多帝即位後に入内した。女御藤原胤子が病没後、皇太子敦仁親王を猶子とし、醍醐天皇の即位に伴い、皇太夫人となる。晩年は東七条宮に住んだため、東七条后、七条后とも称される。橘義子からは斉世親王があり、菅原道真女を妻としたことから、後年菅原道真の誣告に際してその名が出た。菅原衍子は菅原道真の女。 皇子皇女多数。宇多天皇の孫は、ほとんどが源氏の姓を賜り、臣籍に降下した。 宇多天皇から出た源氏を宇多源氏といい、藤原胤子の子・敦実親王から出た系列が最も栄えた。 敦実親王の子・左大臣源雅信は左大臣を務め、その女・倫子は藤原道長の妻となり、一条天皇中宮藤原彰子や関白藤原頼通の母となった。また雅信から近江に土着した佐々木氏(後に、甲賀忍者を束ねる)が出ている。 この時より、近江源氏が生まれる。 治世においては、藤原時平と菅原道真を重用した(寛平の治)。
イタリアにおけるカロリング朝断絶。
7月、諸国大地震(仁和地震)。
9月17日(仁和3年8月26日)、光孝天皇が崩御。定省王が立太子して践祚し、第59代天皇・宇多天皇となる。
12月5日(仁和3年11月17日)、宇多天皇が即位。
12月9日(仁和3年11月21日)、藤原基経が初の人臣関白に就く。
11月、阿衡事件(阿衡の紛議)
888年(仁和四年):戊申
宇多天皇が仁和寺を勅願寺として建立される。
最後の統一フランク王のカール3世(肥満王)が没し、統一フランク王国は分裂する。
ルドルフ1世により高地ブルグント王国が建設され、西スイスがその版図となる。
讃岐守菅原道真、降雨を阿野郡城山神に祈る。
仁和の洪水、信濃川流域(長野県内)で洪水被害。 887年に発生した仁和南海地震、東海地震で八ヶ岳の山麓が崩壊し出来た堰止め湖が決壊し発生した土石流が原因と考えられる洪水。
889年(寛平元年):己酉
元号を寛平(かんぴょう)と改める。
高望王に平姓を賜う(桓武平氏)。
田中伊雅仏具店が創業。
4月、東国の賊首物部氏永、蜂起する。
6月14日(寛平元年5月13日)、桓武天皇の曾孫で高望王が平姓を賜り上総介に任じられる。坂東平氏の祖。
890年(寛平二年):庚戌
シリア北部にハムダーン朝が成立。
4月、寛平大宝を鋳造する。
6月、返抄未提出の貢調郡司の解任期限を定める。
9月、前司(前任国司)の任終年の調庸雑物未進は後任国司に返済させる。