西暦891年〜900年

891年(寛平三年):辛亥
宇多天皇が菅原道真らを登用して国政改革に着手。
ルーヴァンの戦いで、東フランク王アルヌルフがノルマン人ヴァイキングに大勝。
892年(寛平四年):壬子
朝鮮半島で甄萱(しんけん)が完山(全州)に後百済を建てる。
新羅が分裂への道を歩み始める。
アッバース朝が再びバグダードに遷都。
東ローマ皇帝レオーン6世により「バシリカ法典」が出される。
893年(寛平五年):癸丑
ブルガリア皇帝(ツァール)にシメオン1世が即位する。
ブルガリア王国は全盛期を現出。
894年(寛平六年):甲寅
菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
895年(寛平七年):乙卯
東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
896年(寛平八年):丙辰
ノニア(現ハンガリー)に首長アールパードに率いられた騎馬民族マジャル人が定住。
教皇フォルモススの「死体裁判」が行われる。この時代から次の10世紀を教皇庁の「鉄の時代」と呼び、教皇の権威は低下しローマは混乱が続く。
897年(寛平九年):丁巳
父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
898年(昌泰元年):戊午
元号を昌泰(しょうたい)と改める。
古マタラム王国のバリトゥン王が即位。その治世でプランバナン寺院群を建立。
899年(昌泰二年):己未
藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣に就任。対立が激化。
カルマト派がクーファ近郊からイラク南部に勢力を拡大し反乱を起こす。
900年(昌泰三年):庚申
バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。 サーマーン朝はホラーサーンとマー・ワラー・アンナフルを支配下に置き最盛期を迎える。