西暦921年〜930年

921年(延喜二一年)
※調査中。
922年(延喜二二年)
※調査中。
923年(延喜二三年/延長元年)
醍醐天皇、はじめ中宮藤原穏子との間にあげた長子保明親王を東宮の座に据えたが早世した。
藤原時平の娘と保明親王との子、慶頼王を立坊させた。 元号を延長(えんちょう)と改める。
924年(延長二年)
※調査中。
925年(延長三年)
慶頼王(やすよりおう)が死去。菅原道真公の祟りとされた。 一連の不幸は菅原道真の怨霊の仕業と噂され、道真を左遷した詔を破棄し、右大臣に復し贈位を行うなどその慰霊に努めた。
926年(延長四年)
契丹(遼)が渤海を滅ぼす。
927年(延長五年)
藤原忠平らの手で、「延喜格式」が完成する。
928年(延長六年)
ジャワ東部にクディリ朝が成立。
929年(延長七年)
後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世がカリフを称し、東西にカリフが分立する。
930年(延長八年)
皇居に雷が落ちる事件が発生。菅原道真公の祟りとされた。これにより醍醐天皇が病となる。
9月22日、醍醐天皇が病篤きによって皇太子寛明親王に譲位し、その七日後に崩御。 朱雀天皇、8歳で即位。政治は、伯父忠平が摂関として取り仕切っていた。 藤原忠平が摂政就任。
アイスランドで世界最古の近代議会「アルシング」が創設。