西暦941年〜950年

941年(天慶三年)
藤原純友、伊予国警固使橘遠保により捕らえられ、獄中で没した。将門の乱がわずか2ヶ月で平定されたのに対し、純友の乱は2年に及んだ。この平将門と藤原純友の乱を併せて、承平・天慶の乱という。 藤原純友の乱が終わる。 藤原忠平が関白就任。
942年(天慶四年)
※調査中。
943年(天慶五年)
※調査中。
944年(天慶六年)
※調査中。
945年(天慶七年)
※調査中。
946年(天慶八年)
富士山の噴火や地震・洪水などの災害・変異が多く、それが原因かどうか、朱雀天皇は早々と同母弟成明親王(後の村上天皇)に譲位する。 ブワイフ朝がバグダードに入りアッバース朝カリフからアミール・アルウマラー(大アミール)の称号を得る。
947年(天暦元年)
村上天皇、即位。 承平・天慶の乱により、朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努め物価を安定させた。また、琴・琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた。 村上天皇の治績は「天暦の治」として後世景仰された。しかしその反面、この時代に外戚政治の土台が一段と固められ、吏治にも公正さが失われる一方、天徳4年の内裏焼亡をはじめとする数々の災難があった。 元号を天暦(てんりゃく)に改める。 菅原道真公の鎮魂帰神を願い、北野天満宮が創建される。
948年(天暦二年)
※調査中。
949年(天暦三年)
1月22日、疑似惑星直列が発生。太陽を含めて57度以内に並ぶ。 村上天皇、忠平が亡くなるとそれ以降摂関を置かず、延喜時代とともに天皇親政の典範とされた。 しかし実際には政治の実権は依然摂関家の藤原実頼・師輔兄弟にあり、親政は表象にすぎなかった。
950年(天暦四年)
トンガがトゥイ・トンガによって統一。