西暦951年〜960年

951年(天暦五年):辛亥
醍醐寺の五重塔が建立される
952年(天暦六年) :壬子
賀茂保憲が従五位下に叙せられ殿上人となる。
この時、保憲は、当時正六位上であった父・忠行よりも位階が上になっていた。 このため、大江朝綱を通じて父の昇進を願い出るという話がある。
953年(天暦七年) :癸丑
※調査中。
954年(天暦八年):甲寅
※調査中。
955年(天暦九年):乙卯
朱雀上皇、出家して、その年に三十歳で亡くなる
ドイツ王オットー1世がレヒフェルトの戦いでマジャル人に勝利する。
956年(天暦一〇年):丙辰
※調査中。
957年(天暦一一年/天徳元年):丁巳
元号を天徳(てんとく)に改める。
キエフ大公国王母オリガが東方正教会に帰依する。
958年(天徳二年):戊午
高麗で科挙制度が採用される。
959年(天徳三年):己未
後周の世宗、契丹を攻撃し、燕雲十六州中の南方の2州を奪還する。
960年(天徳四年):庚申
3月。村上天皇、内裏歌合を催行。
この時、内裏焼亡をはじめとする数々の災難があった。
安倍晴明、村上天皇より占いを命ぜられる。この頃より、宮中でもその才が認められていた。
ミェシュコ1世がポーランド王国を建てる。
趙匡胤(太祖)が宋を立てる。