西暦1071年〜1080年


延久三年(1071年)
東ローマ帝国、マンツィケルトの戦いでセルジューク朝に大敗、小アジアにトルコ人が侵入
延久四年(1072年)
公定升の制定等、律令制度の形骸化により弱体化した皇室の経済基盤の強化を図った。一方、摂関家側は頼通・教通兄弟が対立関係にあったために天皇への積極的な対抗策を打ち出すことが出来なかった。 また、第一皇子貞仁親王に譲位して院政を開こうと図る。
延久五年(1073年)
白河天皇、即位する。関白を置く。 後三条天皇、病に倒れ、40歳で崩御した。尚、近年の研究では、天皇の退位は院政の実施を図ったものではなく、病によるものとする説が有力である。
承保元年(1074年)
元号を承保(じょうほう)と改める。 上皇の病没後も、父同様に親政を目指し、荘園整理などに力を入れ摂関家の権勢を弱めることに努める。 後三条院とその生母である陽明門院は白河天皇の異母弟実仁親王更にその弟の輔仁親王に皇位を継がせる意志を持ち、譲位時に実仁親王を皇太弟と定めた。白河天皇はこれに反発した。
承保二年(1075年)
7月13日、源頼義が没する。
承保三年(1076年)
※調査中。
承暦元年(1077年)
元号を承暦(じょうりゃく)と改める。 カノッサの屈辱。ルーム・セルジューク朝が成立 陸奥で藤原家衡と藤原清衡の抗争が勃発する。源義家が清衡を支援。 後三年の役のきっかけとなる。
承暦二年(1078年)
※調査中
承暦三年(1079年)
8月、源義家、美濃国で源国房と闘乱を起こした右兵衛尉源重宗(清和源氏満正流4代)を官命により追討。
承暦四年(1080年)
※調査中