西暦1855年(安政二年) - 歴史    歴史|EL XIII   

歴史

西暦1855年(安政二年)

吉田松陰、出獄を許されたが、杉家に幽閉の身分に処された。生家で預かりの身となるが、家族の薦めにより講義を行う。その後、叔父の玉木文之進が開いていた私塾松下村塾を引き受けて主宰者となり、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を教える。

この頃、大日本史の編纂事業は、立原派=保守派、藤田派=改革派として政治的対立が続く。改革派を継いだ藤田東湖が両派の関係修復に尽力するも、この年に起こった安政の大地震にて、東湖が圧死する。調停役を失った抗争は一気に泥沼化。血の粛清へと発展する。これら抗争によって両派とも巨頭になり得る人材を失い、問題の解決と関係の修復を行う力を失っていった。

坂本龍馬の父・八平が死去。


2月27日(安政元年12月21日) 、日露和親条約

11月11日(安政2年10月2日)、安政の大地震

11月11日(安政2年10月2日)、堀田正睦首席老中になる。