西暦1858年(安政五年)

吉田松陰、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。 だが、弟子の久坂玄瑞、高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)らは反対して同調しなかったため、計画は頓挫し、松陰は長州藩に自首して老中暗殺計画を自供し、野山獄に送られた。 福澤諭吉が蘭学塾(後の慶應義塾)を創立
かどや製油創業


1月1日、英領カナダが通貨に10進法を導入
1月14日、フェリーチェ・オルシーニがナポレオン3世暗殺未遂
1月15日(安政4年12月1日)、南部藩士大島高任が洋式高炉で出銑に成功(日本初の近代製鉄)
1月25日、英ヴィクトリア王女・プロイセン王フリードリヒ3世結婚式
1月25日、メンデルスゾーンの結婚行進曲が演奏され同曲が有名となる

2月11日、ルルドで聖母マリアが出現したとされる

3月30日、Hymen Lipmanが消しゴム付き鉛筆の米国特許を取得(1875年却下)

4月9日(安政5年2月26日)、飛越地震

5月11日、米国でミネソタが32番目に州となる
5月中旬(安政5年4月)、南紀派の井伊が大老に就任する。井伊は無勅許の条約調印と家茂の将軍継嗣指名を断行した。
水戸老公徳川斉昭は、一旦は謹慎していたものの復帰、藩政を指揮して長男である藩主徳川慶篤を動かし、尾張藩主徳川慶勝、福井藩主松平慶永らと連合した。 彼らは(条約調印は止むを得ないと考えていたが)「無勅許調印は不敬」として、井伊を詰問するために不時登城(定式登城日以外の登城)した。井伊は「『不時登城をして御政道を乱した罪は重い』との台慮(将軍の考え)による」として彼らを隠居謹慎などに処した。
これが安政の大獄の始まりである。
5月15日、英国でロイヤル・イタリアン・オペラ新築開場(コヴェント・ガーデン)
5月28日、露清間でアイグン条約締結

6月2日、ジョヴァンニ・バッティスタ・ドナティが彗星を発見する
6月4日(安政5年4月23日)、井伊直弼が大老に就任
6月13日、6月27日、アロー戦争: 天津条約締結

7月1日、ダーウィンとウォレスの自然選択説がリンネ協会で公表
7月29日(安政5年6月19日)、日米修好通商条約調印

8月3日、英国が東インド会社への委託統治を廃止し直接統治とする
8月4日(安政5年6月25日)、徳川家定はこの将軍継嗣問題でも、表舞台に出ることはほとんど無かったが、諸大名を招集して慶福を将軍継嗣にするという意向を伝える。 薩摩藩主・島津斉彬は井伊に反発し、藩兵5000人を率いて上洛することを計画する。
8月(安政5年7月)、薩摩藩主・島津斉彬が鹿児島で急死、出兵は頓挫する。斉彬死後の薩摩藩の実権は、御家騒動で斉彬と対立して隠居させられた父・島津斉興が掌握した。
8月5日、初の大西洋横断電信ケーブル敷設
8月11日、チャールズ・バリントンがアイガー初登頂
8月13日(安政5年7月5日)、家定は一橋派の諸大名の処分を発表するという異例の行動を見せた。なお、家定が将軍らしい行動を見せたのは、これが最初で最後である。
8月14日(安政5年7月6日)、第13代征夷大将軍徳川家定が薨去。
一橋派は阿部正弘、島津斉彬が相次いで亡くなると勢いを失い、大老となった井伊直弼が裁定し、将軍継嗣は徳川慶福と決した。
後を養子となった慶福改め徳川家茂が第14代将軍となる。
家茂はこの時13歳という若年であったが、第13代将軍・徳川家定の従兄弟に当たり前将軍の最近親ということから、血縁を徳川初代の徳川家康まで遡らなくてはならない慶喜を抑えて将軍に就任したのである。
とはいえ、文久2年(1862年)までは田安慶頼が、その後は一橋慶喜が「将軍後見職」に就いていたため、その権力は抑制されていた。
8月16日(安政5年7月8日)、外国奉行を設置
8月16日、ヴィクトリア英女王とブキャナン米大統領が大西洋横断海底ケーブルの完成を祝うメッセージを交換する。
8月18日(安政5年7月10日)、日蘭修好通商条約調印
8月19日(安政5年7月11日)、日露修好通商条約調印
8月26日(安政5年7月18日)、日英修好通商条約調印

9月14日(安政5年8月8日)、戊午の密勅
日米修好通商条約許さずの天意を無視する形で条約調印に踏み切った幕府に激怒した孝明天皇は、幕政における復権を画策していた水戸藩の朝廷工作に乗り、同藩に対して直接勅書を下賜するという異例の行動に出た(戊午の密勅)。 大老・井伊直弼ら幕府主流派は、密勅が「倒幕」を画策するものであると捉え、水戸藩に対して勅書の幕府への引渡しを命じる一方で、将軍家定の後継者問題を巡る対立で水戸藩が中心となっていた、いわゆる一橋派に加担していた人物への弾圧を強めていった。
この事により、「安政の大獄」が始まる。
吉田松陰、江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。幕閣の大半は暗殺計画は実行以前に頓挫したことや松陰が素直に罪を自供していたことから、「遠島」にするのが妥当だと考えていたようである。 しかし井伊直弼はそれほど甘い人物ではなく、素直に罪を自供したことが仇となって井伊の命令により「死罪」となってしまう。
幕府からの勅書返納命令に対し、水戸藩内は旧保守派を中心として返納する論(鎮派)と、旧改革派を中心とした反対論(激派)に分かれて対立する。
坂本龍馬、剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝。
9月28日、彗星が初めて写真撮影される(ドナティ彗星)

10月9日(安政5年9月3日)、日仏修好通商条約調印
10月11日(安政5年9月5日)、安政の大獄による捕縛開始
10月21日、ジャック・オッフェンバック喜歌劇「天国と地獄」初演(ブッフ・パリジャン座)

12月16日、オランダ政府がスホクラントの放棄を決定(1859年施行)