西暦1859年(安政六年)

ベルンハルト・リーマンがリーマン予想を提示
ジョン・スチュアート・ミル『自由論』発表
スエズ運河の建設はじまる、1869年開通。イタリア統一戦争開始。
朝廷から出された返納の勅により、ようやく朝廷へ直接返納することで藩論が統一される。
藩論が返納となったことで激派への弾圧はいっそう厳しいものとなった。
徳川慶喜は斉昭、福井藩主・松平慶永らと共に不時登城し直弼を詰問するが、不時登城の罪を問われ隠居謹慎処分となる。
なお、慶喜本人は将軍継嗣となることに乗り気ではなかったのか「骨折りは申し訳ないが、天下を取ってから失敗するよりは、取らないほうがいい」という内容の手紙を斉昭に送っている。
また、激派の中には返納派が密かに幕府へ勅書を渡してしまうのではないかと疑い、脱藩して実力行使にて幕府返納を阻止しようと考える者もいた。
高橋多一郎ら脱藩した水戸浪士達は長岡(現・茨城県東茨城郡茨城町)に集結し、同志・農民など数百人がこれに賛同して合流した。
彼等は「大日本至大至忠楠公招魂表」と書かれた札を立てて長岡宿での検問を実施、江戸への勅書搬入を阻止しようとしたのである。
後に「長岡屯集」と呼ばれるこの行動は、鎮派を牽制する程度の効果はあったものの、水戸に残る激派の立場を更に危うくすることになり、謹慎中の前藩主斉昭も「返納の阻止は天意に反する」と説得した為、主だったメンバーが江戸に脱出することで解散した。


1月22日 -ブラームスピアノ協奏曲第1番初演(ハノーファー)
1月24日、ワラキア・モルダヴィア両国がアレクサンドル・ヨアン・クザによりルーマニアという名で統一(ルーマニア公国,正式な統一は1918年12月1日)

2月16日、フランスでイ音(中央ハの上)を435 Hzとする法律成立: 音律に関する初めての標準
2月14日、米国でオレゴンが33番目に州となる

3月9日、第二次イタリア独立戦争: サルデーニャ王国が軍を動員
3月19日、シャルル・グノー歌劇「ファウスト」初演(パリ)
3月19日、国立スコットランド美術館(National Gallery of Scotland)開館

4月25日、スエズ運河起工(1869年完成)
4月26日、第二次イタリア独立戦争: ジュゼッペ・ガリバルディのアルプス猟兵隊がヴァレーゼでオーストリア軍と対峙
4月29日、第二次イタリア独立戦争: 墺軍がティチーノ川を渡河し戦争勃発
4月30日、チャールズ・ディケンズ『二都物語』連載開始(11月26日完結)

5月2日、英国でコーンウォールとデヴォン州を結ぶロイヤルアルバート橋開通
5月5日、ブラジル・ベネズエラ国境条約調印
5月21日(安政6年4月19日)、安政の大獄: 吉田松陰の江戸送致が長州藩に下達される
5月30日、第二次イタリア独立戦争: パレストロの戦い

6月4日、第二次イタリア独立戦争: マジェンタの戦い
6月12日、米国ネヴァダでコムストック銀山(Comstock Silver Lode)発見
6月15日、サンフアン諸島で英米両国が衝突(ブタ戦争)
6月24日、第二次イタリア独立戦争: ソルフェリーノの戦い
6月30日(安政6年6月1日)、東海道と開港場(横浜)を結ぶ横浜道が完成
6月30日、英国初代駐日総領事オールコックが江戸に着任

7月1日(安政6年6月2日)、横浜港正式開港、外国人居留地設置
7月1日、米国で初の大学対抗野球試合(アマースト大学対ウィリアムズ大学)
7月8日、第二次イタリア独立戦争: 休戦協定締結
7月8日、スウェーデン=ノルウェー王オスカル1世死去: カール15世(ノルウェー王としてはカール4世)即位

8月末(安政6年8月)、朝廷工作を行なっていた水戸藩らに対して戊午の密勅が下され、ほぼ同じ時期、幕府側の同調者であった関白・九条尚忠が辞職に追い込まれた。
8月25日(推定)、最も強力なフレアストームが発生。
8月28日、大規模磁気嵐発生(、9月2日)(オーロラがキューバでも観測、電信途絶)

9月1日、リチャード・キャリントンが初めて太陽フレアを観測
9月6日(安政6年8月10日)、仏国初代駐日総領事ベルクールが江戸に着任
9月7日、英国でビッグ・ベン運用開始
9月24日-27日(安政6年8月28日-9月2日)。世界中でオーロラが観測される。(最南観測場所はキューバ。)この当時のオーロラの観測記録としては、地球の空の3分の2が赤いオーロラによって血のように真っ赤に染まったという異例の現象が記録されている。 当時の電信網のほどんどがダメージを受け、焼き切られた事も記録として残っている。
9月25日(安政6年8月29日、安政の大獄: 徳川慶喜が隠居謹慎に処さる
9月末(安政6年9月)、老中間部詮勝、京都所司代酒井忠義らが上洛し、近藤茂左衛門、梅田雲浜、橋本佐内らを逮捕したことを皮切りに、公家の家臣まで捕縛するという激しい弾圧が始まった。そして、吉田松陰が最後の処刑者となる。

10月4日(安政6年9月9日)、英貿易商トーマス・ブレーク・グラバーが長崎に来航 10月16日、米国でジョン・ブラウンが奴隷制度廃止運動として反乱を起す(ハーパーズ・フェリー蜂起事件) 10月18日、米国でロバート・E・リー中佐率いる海兵隊がジョン・ブラウン以下を鎮圧 10月22日、スペイン=モロッコ戦争: スペインがモロッコに宣戦布告

11月1日(安政6年10月7日)、安政の大獄: 橋本左内・頼三樹三郎らが斬首刑に処さる
11月2日(安政6年10月27日)、吉田松陰、斬刑に処される。
獄中にて遺書として門弟達に向けて『留魂録』を書き残す。その冒頭に記された辞世は"身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂"。 また、家族宛には『永訣書』を残しており、こちらに記された"親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん"も辞世として知られている。 「天下は一人の天下」と主張して、藩校明倫館の元学頭・山県太華と論争を行っている。「一人の天下」という事は、国家は天皇が支配するものという意味であり、 「天皇の下に万民は平等になる」という一種の擬似平等主義であり、幕府(ひいては藩)の権威を否定する過激な思想であった。なお、「一君万民」の語を松陰が用いたことはない。 京都で捕縛された志士たちは江戸に送致され、江戸伝馬町の獄などで詮議を受けた後、切腹・死罪など酷刑に処せられた。幕閣でも川路聖謨や岩瀬忠震らの非門閥の開明派幕臣が処罰され、謹慎などの処分となった。 この時、寛典論を退けて厳刑に処すことを決したのは井伊直弼と言われる。
11月10日、第二次イタリア独立戦争: チューリヒ条約調印により終結
11月21日(安政6年10月27日)、安政の大獄: 吉田松陰が斬首刑に処さる
11月24日、チャールズ・ダーウィン『種の起源』刊行(即日完売)
11月24日、仏海軍戦艦ラ・グロワール進水(初の外洋航行可能な甲鉄戦艦)

12月2日、米国でジョン・ブラウンが絞首刑に処さる
12月17日(安政6年11月24日)、勝海舟、アメリカ派遣を命ぜられる。