西暦1865年(慶応元年)

第二次長州征伐が起こる。
トルストイ「戦争と平和」発表(〜1869年)
ルドルフ・クラウジウスがエントロピーを命名
ジョン・ニューランズが元素のオクターブ則を発表
ケープライオン絶滅
雷門焼失
長崎でグラバーが蒸気機関車を日本で初めて走らせる
アウグスト・ケクレがベンゼンの環状構造を提唱
兵庫開港を決定した老中・阿部正外らが朝廷によって処罰されると、徳川家茂は、自ら将軍職の辞意を朝廷に上申している。
このとき孝明天皇は大いに驚き慌てて辞意を取り下げさせ、その後の幕府人事への干渉をしないと約束したという。
攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の存在にあると見た諸外国海軍は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を天皇に要求して、天皇も事態の深刻さを悟って条約の勅許を出す事にした。
だが、この年には実際には宮中のみに留まったものの西洋医学の禁止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった。
もっとも、遺品として時計が残るなど、西洋文明を全く否定していた訳ではない。
京の薩摩藩邸に移った龍馬の元に中岡慎太郎らが訪問。この頃から中岡と共に薩長同盟への運動を開始する。
薩摩藩の援助により、土佐脱藩の仲間と共に長崎で社中(亀山社中・のちに海援隊)を組織し、物産・武器の貿易を行った。


1月8日(元治元年12月11日)、天狗党一行は遂に最期の地、越前新保(福井県敦賀市)に至る。幕府の追討軍は天狗党の行き先を察知して転進し、それを包囲しつつあった。
天狗党一行は徳川慶篤と徳川慶喜が自分たちの声を聞き届けてくれるものと期待していたが、京都から来た幕府軍を徳川慶喜が率いていることを知り、慶喜に差し出した嘆願書の受け取りも拒否されて、自分達の志が潰えたことを悟る。
最前線で天狗党と対陣していた加賀藩の監軍・永原甚七郎らは、抵抗せずに嘆願しようとしている天狗党に同情し、武田耕雲斎らに降伏を勧告する。
1月12日(元治元年12月15日)、功山寺挙兵
1月13日、南北戦争: 第二次フィッシャー砦の戦い
1月14日(元治元年12月17日)、交渉の結果、武田耕雲斎ら天狗党幹部はこれ以上の進軍は無意味と判断し、抗戦論を退けて加賀藩に投降、天狗党は武装解除して乱は完全に鎮圧。
当初、加賀藩は、彼等の勤皇の志に胸を打たれ、かなりの好待遇をもって迎えたようである。しかし田沼意尊率いる幕府軍が敦賀に到着すると強硬な態度で戦後処理を進め、彼等を捕縛、鰊倉のなかに監禁した。
藤田をはじめとする主な人物はただ倉の中に放り込まれただけであったが、その他のものはきつく手枷足枷をはめられ閉じこめれた。
狭い鰊倉の中に大人数が押し込められ、1日握飯一つと湯水一杯という粗食しか与えられなかった。厳寒の中、用便用の桶と魚の異臭が籠る倉の中で倒れる者が続出し、病死者は20名以上と言われている。
加賀藩は天狗党の行動は単に勤皇の志に動かされてのものであり、寛大な処分を願うとの嘆願書を幕府に提出し、彼等の助命を願い出るものの、同情論や過激派による更なる挙兵を防ぎたい幕府によって全員の処刑が決定される。
1月24日(元治元年12月27日)、長州討伐については、幕府側はこの処置に不満であったが、藩庁はこれに従い恭順を決定する。3条件の実施を見た征長総督の徳川慶勝は、直ちに征長軍の撤兵を命じる。
第一次長州征伐が終わると、無勅許状態にあった日米修好通商条約の勅許を得るために奔走し、条件付ながら勅許を得ることに成功した。
1月31日、米国で憲法修正第13条が提案さる(批准成立12月6日)
1月31日、南北戦争: ロバート・リーが南部連合陸軍総司令官に就任

2月1日、リンカーン米大統領が憲法修正第13条に署名(National Freedom Day)
2月8日、メンデルが遺伝の法則を発表(ブルノ自然協会で口頭発表)
2月20日、マサチューセッツ工科大学開学(設立1861年)

3月1日(元治2年2月4日)、天狗党の乱: 武田耕雲斎斬首
3月3日、香港上海銀行設立
3月4日、リンカーンが米大統領2期目に就任
3月17日(元治2年2月20日)、大浦天主堂で隠れキリシタンが発見さる(信徒発見記念日)
3月19日、南北戦争: ベントンビルの戦い
3月20日(元治2年2月23日)、天狗党の乱: 藤田小四郎斬首
3月26日(元治2年3月1日)、彦根藩士が武田耕雲斎など水戸浪士352人を、来迎寺にて処刑。
武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内において斬首されたのを最初に、12日に135名、13日に102名、16日に75名、20日に16名と、3月20日(旧暦2月23日)までに計352名が斬首され、他は遠島、追放などの処分が科された。
桜田門外の変以来水戸藩に恨みを抱いていた彦根藩士の中には志願して処刑の執行人となった者もいた。
なお、遠島処分となった武田金次郎以下110名は、小浜藩に預けられて謹慎処分となった。同藩は彼らを准藩士格として扱い、佐柿(福井県美浜町佐柿)に収容のための屋敷を建てて厚遇した。
3月下旬(慶應元年3月)、高杉晋作が奇兵隊を挙兵させて、藩権力を掌握し、藩論を恭順から討幕へと転回。

4月1日、南北戦争: ファイブフォークスの戦い
4月3日、南北戦争: 南部連合の首都リッチモンドが陥落
4月6日、BASF設立
4月8日、南北戦争: 南部連合のリー将軍がグラント将軍に降伏(南北戦争の実質的な終了)
4月14日、リンカーン米大統領がフォード劇場で狙撃される(リンカーン大統領暗殺事件)
4月14日、ウィリアム・スワード米国務長官暗殺未遂
4月15日、リンカーン死亡によりアンドリュー・ジョンソン米副大統領が米第17代大統領に就任
4月27日、米国ミシシッピ川で貨客船サルタナが爆発炎上(死者1700名)

5月(慶應元年4月)、幕府は、長州の反幕政策に対して、態度を硬化させ、第二次長征総督に前和歌山藩主の徳川茂承を任命。
5月1日(慶應元年4月7日)、元治から慶應に改元。
5月10日、南北戦争: デイヴィス南部連合大統領らが逮捕さる
5月13日、南北戦争: パルメット農場の戦い(最後の陸戦)
5月17日、万国電信連合(後の国際電気通信連合)設立

6月10日、ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」初演(ミュンヘン)

7月(慶應元年閏5月)、西郷隆盛は、第二次長州征伐を予想して、坂本竜馬に長州との和解を依頼。
この年、「非義勅命は勅命にあらず」という文言で有名な大久保利通の書簡を、長州藩重役に届けるという重大な任務を龍馬が大久保や西郷に任されている。
7月4日、ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」出版
7月5日、米国でシークレットサービス設立
7月5日、 英国で赤旗法施行
7月8日(慶應元年閏5月16日)、ハインリッヒ・シュリーマンが訪日
7月10日(慶應元年閏5月18日)、ハリー・パークスが駐日英国公使として着任
7月13日、ホレス・グリーリーが「西部に行け、若者よ」(en:Go West, young man)を掲載(New York Tribune社説)
7月14日、マッターホルン初登頂(エドワード・ウィンパーら)

8月(慶応元年6月)、幕府は、長州に対して領地削減を命令。討幕に転じた長州藩はこれを拒否。

9月1日、ジョゼフ・リスターが手術で初めて消毒を行う
9月14日、ジュール・ヴェルヌ「地球から月へ」連載開始(〜10月14日、Journal des débats紙)

10月(慶応元年8月)、坂本龍馬は長崎のグラバー商会(イギリス武器商会のジャーディン・マセソン商会の直系)と関係が深く信用を得ていたが、薩摩藩名義で香港のジャーディン・マセソン商会の信用状により長崎のグラバー商会から買い付けた銃器弾薬を長州藩に転売することに成功した。

12月6日、米国で憲法修正第13条批准成立
12月17日、レオポルド2世がベルギー王に即位
12月17日、フランツ・シューベルト交響曲第7番「未完成」初演(ウィーン)
12月19日、テンペル・タットル彗星発見