西暦1919年(大正八年)

概要

スペイン風邪流行続く。同年、死者15万人を突破。最終的に国内の総死者は38万人。 大正天皇、食事をとることも勅語を読むこともできなくなるほど病状は悪化していた。 裕仁親王、満18歳となり、成年式が執り行なわれた。 ローゼンツヴァイク「救済の星」 有島武郎『或る女』 菊池寛『恩讐の彼方に』 シュタルク:シュタルク効果 バルクハウゼン:バルクハウゼン効果・バルクハウゼンクルツ振動 11年ぶりに「講演会」は「語学大会」として再開。イラクのウバイドからシュメール時代以前の遺物が出土。長い頭にアーモンド形の目、ヘビのようなを特徴をもつ小像はリザードマンと呼ばれた。


1月1日、白ロシア・ソビエト社会主義共和国樹立
1月5日、ドイツでスパルタクス団が蜂起
1月5日、ドイツのミュンヘンでドイツ労働者党(後の国家社会主義ドイツ労働者党)が結党
1月15日、ドイツでローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒトが虐殺される
1月18日、第一次世界大戦の終結に関するパリ講和会議開催

2月27日、リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国(リトベル共和国)成立

3月1日、朝鮮半島で三・一独立運動 3月2日、コミンテルン(第3インターナショナル)創立
3月21日、ハンガリーでハンガリー・ソビエト共和国樹立
3月21日、イギリスでインド独立運動を抑圧するローラット法が制定
3月23日、イタリアでベニート・ムッソリーニが「戦士のファッショ(後のファシスト党)」を結成

4月6日、インドでマハトマ・ガンディーが第1次サティヤーグラハ(非暴力・不服従)運動を開始
4月12日、日本で関東軍司令部条例公布(関東軍設置)
4月13日、インドでイギリス軍が発砲しインド民衆に数百人の死傷者がでる(アムリットサル事件)
4月16日、ハンガリー・ソビエト共和国にルーマニア王国が宣戦布告(ハンガリー・ルーマニア戦争)
4月21日、堺利彦・山川均らが「社会主義研究」創刊
4月30日、パリ講和会議で中国山東省のドイツ利権に関する日本の要求が承認

5月4日、中華民国で五・四運動
5月7日、パリ講和会議で赤道以北の旧ドイツ領を日本が委任統治することに決定
5月15日、ギリシア軍がトルコ領のイズミルに侵入し占領
5月23日、日本で衆議院議員選挙法改正(3円以上の納税者に選挙権)
5月27日、カーチスNC4飛行艇がニューヨークからリスボンに到着(初の大西洋横断飛行成功)
5月27日、カウツキー「資本論解説」日本語訳

6月、裕仁親王と皇太子妃の婚約が成立した。
6月6日、ハンガリーでホルティ・ミクローシュがハンガリー国民軍を率いて反政府蜂起
6月21日、スカパ・フローでドイツ艦隊が自沈
6月28日、第一次世界大戦のドイツに関する講和条約、ヴェルサイユ条約が締結される。

7月7日、カルピス販売開始
7月13日、アメリカ合衆国が金本位制に復帰

8月6日、ルーマニア軍がハンガリーの首都ブダペストを攻略。ハンガリー・ソビエト共和国が崩壊
8月8日、第三次アフガン戦争の結果、アフガニスタンとイギリスがラワルピンディ条約を締結
8月11日、ドイツでヴァイマル憲法(ワイマール憲法)が成立(ヴァイマル共和政)
8月19日、アフガニスタンがイギリスから独立
8月25日、リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国(リトベル共和国)が解体
8月某日、田辺元が西田幾多郎に招聘され、京都帝国大学文学部助教授に就任

9月7日、トルコでケマル・アタテュルクがアナトリア・ルーメリア権利擁護団(後の人民党)を組織
9月10日、オーストリアが連合国とサン=ジェルマン条約を締結

10月10日、孫文らが中国国民党を創立
10月28日、アメリカ合衆国でボルステッド法(禁酒法)制定

11月、元老・山縣有朋が、良子女王の家系(島津家)に色盲遺伝があるとして婚約破棄を進言。 山縣は西園寺公望や原敬首相と連携して久邇宮家に婚約辞退を迫ったが、長州閥の領袖である山縣が薩摩閥の進出に危惧を抱いて起こした陰謀であるとして、民間の論客・右翼から非難されることとなった。当初は辞退やむなしの意向だった久邇宮家は態度を硬化させた。
11月23日、中華民国、キャフタ協定を破棄、外モンゴルの自治を撤廃し、直接統治を導入
11月27日、ブルガリア王国が連合国側とヌイイ条約を締結
11月30日、食品工業株式会社(現在のキユーピー)設立

12月23日、イギリスが州政府に部分的な自治を容認するインド統治法を実施
12月24日、日本で第42議会召集