西暦1919年(大正八年)

概要

スペイン風邪流行続く。同年、死者15万人を突破。最終的に国内の総死者は38万人。 大正天皇、食事をとることも勅語を読むこともできなくなるほど病状は悪化していた。 裕仁親王、満18歳となり、成年式が執り行なわれた。 フランスにあるヴェルサイユ宮殿「鏡の間」でヴェルサイユ条約が締結される(2019年はヴェルサイユ条約締結100周年)。ローゼンツヴァイク「救済の星」 有島武郎『或る女』 菊池寛『恩讐の彼方に』 シュタルク:シュタルク効果 バルクハウゼン:バルクハウゼン効果・バルクハウゼンクルツ振動 11年ぶりに「講演会」は「語学大会」として再開。イラクのウバイドからシュメール時代以前の遺物が出土。長い頭にアーモンド形の目、ヘビのようなを特徴をもつ小像はリザードマンと呼ばれた。


1月1日、白ロシア・ソビエト社会主義共和国樹立
1月5日、ドイツでスパルタクス団が蜂起
1月5日、ドイツのミュンヘンでドイツ労働者党(後の国家社会主義ドイツ労働者党)が結党
1月15日、ドイツでローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒトが虐殺される
1月18日、第一次世界大戦の終結に関するパリ講和会議開催。アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソン、デビッド・ロイド・ジョージイギリス首相、ジョルジュ・クレマンソーフランス首相ら連合国首脳が6か月にわたって会議を行う。

2月27日、リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国(リトベル共和国)成立

3月1日、朝鮮半島で三・一独立運動 3月2日、コミンテルン(第3インターナショナル)創立
3月21日、ハンガリーでハンガリー・ソビエト共和国樹立
3月21日、イギリスでインド独立運動を抑圧するローラット法が制定
3月23日、イタリアでベニート・ムッソリーニが「戦士のファッショ(後のファシスト党)」を結成

4月6日、インドでマハトマ・ガンディーが第1次サティヤーグラハ(非暴力・不服従)運動を開始
4月12日、日本で関東軍司令部条例公布(関東軍設置)
4月13日、インドでイギリス軍が発砲しインド民衆に数百人の死傷者がでる(アムリットサル事件)
4月16日、ハンガリー・ソビエト共和国にルーマニア王国が宣戦布告(ハンガリー・ルーマニア戦争)
4月18日、ドイツに対して、パリ講和会議のための代表団派遣が招請される。
4月21日、堺利彦・山川均らが「社会主義研究」創刊
4月29日、パリ講和会議に参加するため、ロックドルフ=ランツァウを首席とするドイツ代表団がパリに到着。
4月30日、パリ講和会議で中国山東省のドイツ利権に関する日本の要求が承認

5月4日、中華民国で五・四運動
5月7日、外務省付近のトリアノンホテルにて、連合国側よりドイツ代表団へ平和条約案が提示される。この条約案に対する回答期限は5月21日までであり、口頭での交渉は許されていなかったが、ブロックドルフ=ランツァウはその場で戦争責任条項に対する抗議を行い、ロシアの動員こそが世界大戦に至る原因であったと主張する。条約案を受け取ったドイツでは激しい反発が起こり、代表団は次々と覚書を連合国に送付。
パリ講和会議で赤道以北の旧ドイツ領を日本が委任統治することに決定 。
5月10日、条約案にたいするドイツの回答に対して、連合国側は、基本的方針を堅持すると伝達。
5月12日、ドイツのシャイデマン首相が条約案を受け入れられないと声明。

5月15日、ギリシア軍がトルコ領のイズミルに侵入し占領
5月18日、ドイツ国フリードリヒ・エーベルト初代大統領が条約案を受け入れられないと声明。しかし、エルツベルガー等の一部の閣僚が交渉決裂は戦争につながると危惧した事もあり、反対意見は改めてまとめられる事となる。
5月23日、日本で衆議院議員選挙法改正(3円以上の納税者に選挙権)
5月27日、カーチスNC4飛行艇がニューヨークからリスボンに到着(初の大西洋横断飛行成功)
5月27日、カウツキー「資本論解説」日本語訳
5月29日、パリ講和会議の条約案に対して、ドイツが反対提案を提出。

6月、裕仁親王と皇太子妃の婚約が成立した。
6月1日、イギリス帝国において、戦時内閣の緊急閣議が開かれ、ドイツ側に譲歩するか否かが協議される。東部国境・占領期間・ドイツの国際連盟への加入・賠償の一定額固定への変更などの決議は四人会議に委ねられる事となった。
6月2日、四人会議が行われるが協議は難航。
6月6日、ハンガリーでホルティ・ミクローシュがハンガリー国民軍を率いて反政府蜂起
6月14日、四人会議の議論が決着し、細部での譲歩条件などにおいては、住民投票で決められる事となる。
6月16日、ドイツ側の所見に対する回答が行われる。
6月18日、ドイツ政府はヴァイマルで与党であるヴァイマル連合(ドイツ社会民主党、中央党、ドイツ民主党)に条約受諾の賛否を問い、結果として条約受諾に向かう事となる。
6月19日、この時に行われた閣議において、グレーナーと国防相グスタフ・ノスケが国民議会各派や閣僚を説得し、最終的に受諾方針が固まった。シャイデマンは内閣の総辞職を宣言してグスタフ・バウアーが首相となる。
6月21日、スカパ・フローでドイツ艦隊が自沈
6月22日、バウアー首相は戦争責任について認めず、皇帝への有罪判決や戦犯処罰は受け入れられないと条件をつけた上で、議会で条約受諾を声明。
6月23日、ドイツ政府が正式に条約の受諾を声明する。
6月28日、フランス:ヴェルサイユ宮殿の鏡の間で、第一次世界大戦のドイツに関する講和条約「ヴェルサイユ条約」が締結される。鏡の間は「平和の間」と「戦争の間」をつなぐ構造の回廊であり、またかつて普仏戦争の仮条約締結と、ドイツ帝国の成立が宣言された場所。

7月7日、カルピス販売開始
7月13日、アメリカ合衆国が金本位制に復帰

8月6日、ルーマニア軍がハンガリーの首都ブダペストを攻略。ハンガリー・ソビエト共和国が崩壊
8月8日、第三次アフガン戦争の結果、アフガニスタンとイギリスがラワルピンディ条約を締結
8月11日、ドイツでヴァイマル憲法(ワイマール憲法)が成立(ヴァイマル共和政)
8月19日、アフガニスタンがイギリスから独立
8月25日、リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国(リトベル共和国)が解体
8月某日、田辺元が西田幾多郎に招聘され、京都帝国大学文学部助教授に就任

9月7日、トルコでケマル・アタテュルクがアナトリア・ルーメリア権利擁護団(後の人民党)を組織
9月10日、オーストリアが連合国とサン=ジェルマン条約を締結

10月10日、孫文らが中国国民党を創立
10月28日、アメリカ合衆国でボルステッド法(禁酒法)制定

11月、元老・山縣有朋が、良子女王の家系(島津家)に色盲遺伝があるとして婚約破棄を進言。 山縣は西園寺公望や原敬首相と連携して久邇宮家に婚約辞退を迫ったが、長州閥の領袖である山縣が薩摩閥の進出に危惧を抱いて起こした陰謀であるとして、民間の論客・右翼から非難されることとなった。当初は辞退やむなしの意向だった久邇宮家は態度を硬化させた。
11月23日、中華民国、キャフタ協定を破棄、外モンゴルの自治を撤廃し、直接統治を導入
11月27日、ブルガリア王国が連合国側とヌイイ条約を締結
11月30日、食品工業株式会社(現在のキユーピー)設立

12月23日、イギリスが州政府に部分的な自治を容認するインド統治法を実施
12月24日、日本で第42議会召集