西暦1926年(大正一五年/昭和元年)

概要

エーベルがインシュリンの結晶化に成功 ニュージーランドで家族手当が制度化される。 ドイツでユースホステルが生まれる。 今の北海道千歳市に着陸場(現在の新千歳空港の前身)が出来る。


1月6日、ドイツでルフトハンザ航空設立
1月12日、東洋レーヨン設立
1月15日、京都学連事件で初の治安維持法適用
1月28日、加藤高明内閣総辞職(首相死去)
1月30日、第1次若槻内閣成立
1月30日、「幼年倶楽部」創刊(野間清治)

2月28日、松島遊郭疑獄発覚
2月28日、東北帝国大学の八木秀次と宇田新太郎によって、八木・宇田アンテナが考案

3月5日、労働農民党結成
3月5日、世界最初のSF専門誌『アメージング・ストーリーズ』創刊
3月20日、蒋介石が反共クーデターを起こす(中山艦事件)

4月25日、朴烈・金子文子夫妻が大逆罪によって死刑判決(朴烈事件)
4月25日、アサヒカメラ創刊
4月25日、滝実業学校(愛知県江南市)開校

5月12日、ポーランドでピウスツキらが五月革命をおこし政権を掌握
5月14日、兵庫県宝塚市に「宝塚ホテル」誕生(阪神間初の郊外型ホテル)
5月24日、十勝岳噴火。水蒸気爆発により、泥流が発生し、北西の畠山温泉に達する。その後、山の半分が爆発して崩壊。火砕流が北西の硫黄鉱山事務所を瞬時に呑み込み、更に泥流となって上富良野と美瑛の2村に達する。114人が死亡し21人が行方不明。(日本火山総覧)

6月12日、日本アマチュア無線連盟(任意団体)結成。全世界に向けて設立宣言文を広報発信。(25日の異説あり)
6月10日、朝鮮半島で、6・10万歳運動が起こる。
6月28日、ドイツでダイムラー・ベンツ社設立(ダイムラー社とベンツ社が合併)
6月28日、三木清「パスカルに於ける人間の研究」発表

7月1日、蒋介石が国民革命軍を率いて北伐を開始(第1次北伐)
7月1日、治安警察法第17条の廃止、小作調停法・労働争議調停法の施行により労働者・農民の団結権と争議権が制限付きながら認められる。
7月23日、フランスにポアンカレ国民連合内閣が成立する。

8月6日、日本放送協会設立
8月10日、ボルボ社設立
8月20日、鬼熊事件
8月20日、カール・コルシュ「マルクス主義と哲学」邦訳

9月3日、量子力学の基礎方程式としてシュレーディンガーの波動方程式が確立
9月8日、ドイツが国際連盟に加入し、常任理事国となる。
9月23日、山陽本線特急列車脱線事故がおこる。
9月23日、新宿高野がフルーツパーラーを営業開始

10月1日、郵便年金開始
10月5日、新交響楽団(後のNHK交響楽団)結成
10月19日、イギリス帝国会議がロンドンで開催され、イギリス本国と自治領の地位は平等とされる。
10月22日、明治神宮外苑竣功奉献式

11月、大正天皇の病状が極度に悪化。
11月2日、ドレスメーカー女学院(後の杉野学園)設立
11月12日、日本海海戦の旗艦「三笠」保存記念式
11月15日、アメリカ合衆国でNBCがラジオ・ネットワーク放送開始
11月18日、豊田佐吉が現在のトヨタ自動車の母体である豊田自動織機製作所を設立

12月3日、改造社が『現代日本文学全集』を刊行(円本時代到来)
12月3日、アガサ・クリスティ失踪事件(14日に発見)
12月18日、阪急今津線が全通。西宮北口駅に平面交差が生じる(1984年廃止)。
12月24日、第52議会召集
12月25日午前1時25分、静養中の葉山御用邸において、長く会えなかった実母・柳原愛子(二位局)の手を握ったまま、心臓麻痺で崩御。宝算(享年)47。臨終の床に生母を呼んだのは皇后・節子の配慮によるものであったという。 「大正天皇」と追号され、翌年2月8日、神武以来、天皇として史上はじめて関東の地、多摩陵に葬られた。
※逸話
▼人物に関するもの
・創作した漢詩の数は実に1367首もあり、歴代天皇のなかでも飛びぬけている(第2位が嵯峨天皇の97首)。開放的な性格上、和歌が31文字で限られた表現しかなしえないので、多様な表現が可能な漢詩に心を寄せたものと思われる。 ・富山県訪問時に詠んだ「登呉羽山」の詩は現在、呉羽山山頂に碑文となっており、おそらくは大正天皇唯一の詩碑とされる。 ・皇太子時代に全国を巡啓し、京都帝国大学(後の京都大学)付属病院を訪れた時には患者に声をかけ患者が涙にむせんだという逸話も残っており、福岡県知事との会話の間に持っていたタバコを気軽に差し出したという記録も残っている。このような思ったことをすぐに言動に出す性格は幼少期からのものであるが、嘉仁親王の性格を好ましく思わなかった明治天皇や元老山縣有朋らに幾度となくたしなめられていたようである。 ・巡啓中には、有栖川宮の黙認もあって、非常に気さくに、身分に構わず気軽に声をかけた。移動も特別編成のお召列車でなく一般乗客と同じ普通列車に乗り込み、兵庫県の陸軍大演習ではいきなり旧友宅を訪問、新潟では早朝に宿舎を抜け出して散策をし、ある時は蕎麦屋に入るなど自由奔放にふるまった。これは当時、明治天皇が一般人の目の見えないところに「神」として君臨していたのとは好対照である。
▼病状に関するもの
・宮内庁は平成20年(2008年)6月4日、「大正天皇実録」の一部(複製本)を公開した。それによると、大正10年(1921年)の皇太子裕仁親王の摂政就任時には「大正三年頃ヨリ軽度ノ御発語御障害アリ、其ノ後ニ至リ御姿勢前方ヘ屈セラルル御傾向アリ」「殊ニ御記憶力ハ御衰退アリ」などと病状について記されている。
▼その他
・大正天皇の結婚の時、日本各地で記念として桜が大量に植樹された。日本=桜という概念が生まれたのもこの時期であるといわれる。
・現在広く行われている神前結婚式は、大正天皇と貞明皇后の婚儀を東京大神宮が一般向けにアレンジしたものである。
▼いわゆる「遠眼鏡事件」 「遠眼鏡事件」とは、「大正天皇が進行した脳病により帝国議会の開院式で詔勅を読んだ後、大正天皇はその勅書をくるくると丸め、遠めがねにして議員席を見渡した」とされる「事件」であり、それにまつわるさまざまな風説が流布されており、「大正天皇は暗愚であった」と誤って評価される要因のひとつであるとされる。 この種の風説に関して書かれた記事は数種存在するが、記事相互の内容(天皇の行動、「事件」が起こったとされる時期など)はかなり異なっており、信憑性は定かではない。また、語り出されたこと自体が大東亜戦争後、すなわち、言論の自由化とともに「反天皇制」である左翼思想、共産主義思想が力を持ちつつあった昭和30年代にほぼ集中しているという。 この事件について、近年、大正天皇付きの女官による証言が報じられている。この証言は「勅書をくるくると丸め、遠めがねに」したことを否定してはいるが、どのような経緯で、お付きの女官が大正天皇本人から聞くことになったかは述べられてない。また、その「事件」がいつの出来事であるかも明確ではない。そのため、そういった「事件」が実際に起こったのか、その経緯についての大正天皇の説明が真実であるかということを判断することはできない。 また、大正天皇は脳膜炎を患って以来手先が不自由であり、上手く巻けたかどうかを調べていたのが、議員からは遠めがねのように使っていたように見えたという説もある。そもそも、勅書は丸めるものであるので丸めること自体におかしな点はない。
大正天皇は、最終的に政治的な立場から排除された天皇であり、「大正天皇が病弱で暗愚である」という根拠に欠けるエピソードの流布自体への政治的な思惑を指摘する意見がある。実際、皇太子時代から近かった原敬首相存命時に極力伏せられてきた天皇の病状は、原の暗殺直後に一般に流布されるようになったとされる。 それに対して、「戦前は不敬罪があり、皇室の噂は封印されていたものであり、(風説の報道が反天皇制思想が広まりつつあった昭和30年代に集中しているからといって)虚構との説明には説得力がないという」意見もある。いずれにしても、この「事件」の噂が代表するように、大正天皇についての情報は肉親や、利害関係者の証言や、また聞きレベルの噂など客観性が乏しいものが多い。
裕仁親王、大正天皇崩御を受け践祚して第124代天皇となり、昭和に改元する。
12月25日、浜松高等工業学校の高柳健次郎、電子式テレビ受像機(ブラウン管式)を開発。
12月26日、高野山金堂火災(国宝など焼失)
12月28日、昭和天皇が西園寺公望に「元老として補弼せよ」と勅語を下す。
12月31日、東京市の市電・省線が終夜運転を行う。
12月31日、アメリカ合衆国がニカラグアに干渉
12月31日、ロッキード航空機会社設立(社名変更)