西暦1934年(昭和九年)

概要

ソビエト連邦(ソ連)の最高指導者ヨシフ・スターリンがソ連国内と周辺の諸各国に対して大粛清を開始した。(-1953年) インド、ネルー国民会議派の指導者となる。 トルコ、第1次五か年計画。
統制経済による高度国防国家への改造を計画した陸軍の中央幕僚と、上下一貫・左右一体を合言葉に特権階級を除去した天皇政治の実現を図った革新派の隊付青年将校が対立。はじめは懐柔策を講じていた幕僚らは目障りな隊付青年将校に圧迫を加えるようになった。革命的な国家社会主義者北一輝が記した『日本改造法案大綱』の中で述べた「君側の奸」の思想の下、天皇を手中に収め、邪魔者を殺し皇道派が主権を握ることを目的とした「昭和維新」「尊皇討奸」の影響を受けた安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次らを中心とする尉官クラスの青年将校は、政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況等の現状を打破する必要性を声高に叫んでいた。


1月1日、東京宝塚劇場開場。 後に企業化し、TOHOとなる。
1月8日、京都駅で呉海兵団入団者の見送りによる大混乱。跨線橋の階段で77名が圧死(京都駅跨線橋転倒事故)。
1月15日、日本共産党内部の裏切り・スパイ疑惑に関する査問事件を「赤色リンチ事件」として公表。
1月26日、ドイツ・ポーランド不可侵条約締結。
1月27日、スタヴィスキー事件によりショータン仏内閣総辞職。
1月28日、シェストフ「悲劇の哲学」邦訳。「シェストフ的不安」が流行語になる。
1月29日、日本製鐵株式會社設立(2月1日営業開始)。
1月31日、兵庫県但馬地方で三十年来の大雪。18名死亡。

2月1日、日比谷映画劇場開場
2月6日、フランスで、アクション・フランセーズなどの国粋主義団体による反政府暴動が発生。翌日ダラディエ内閣総辞職。
2月12日、オーストリアで社会民主党支持の労働者をドルフスキリスト教社会党政権が拘束した事をきっかけに両党が軍事衝突。(2月内乱)
2月19日、愛知県蒲郡市に蒲郡ホテル完成(初の国際観光ホテル)
2月19日、三枝博音「日本に於ける哲学的観念論の発達史」
2月19日、山田盛太郎「日本資本主義分析」

3月1日、満州国にて帝政実施。執政溥儀が皇帝となる。
3月5日、文部大臣・鳩山一郎が綱紀問題で辞任。
3月9日、時事新報社社長・武藤山治、神奈川県大船町(現:鎌倉市)の別邸近くで狙撃される(翌10日死去)。
3月12日、友鶴事件。長崎県志々伎岬沖で水雷艇友鶴が荒天下の演習中に転覆。艦長以下100名死亡。
3月13日、ムッソリーニ、スペイン王党派と協定。
3月16日、初の国立公園指定(瀬戸内海・雲仙・霧島)
3月21日、函館市で大火。24,186戸焼失、2,166名死亡。
3月21日、東日本で暴風雨。727戸倒壊、50名死亡。
3月24日、日活が多摩川撮影所を買収、現代劇部の東京移転を開始

4月1日、山口貯水池(狭山湖)完工式
4月2日、海軍航海学校開校(横須賀)
4月13日、明治生命館完成 4月18日、帝人事件
4月21日、忠犬ハチ公銅像除幕式 5月以後、東北地方を中心に冷害と不漁が相次ぎ、その年の同地方は深刻な凶作となって飢饉が発生した。

5月16日、アメリカ合衆国・ミネアポリスでトラック運転手がゼネストに突入(ミネアポリス・チームスター・ストライキ)。
5月23日、アメリカで銀行強盗・殺人を繰返していたクライド・バロウとボニー・パーカーが警官隊の待伏せに逢い射殺。(「ボニーとクライド」参照)
5月30日、東郷平八郎元帥死去。東郷神社建設の声が全国で起る。

6月1日、独・ ユーゴ通商協定調印
6月1日、 輸出組合法改正施行(ダンピング取締・政府統制強化)
6月5日、東郷平八郎元帥国葬(日比谷公園)
6月7日、日比谷公会堂で藤原歌劇団第1回公演(「ラ・ボエーム」)
6月8日、南京で蔵本書記生失踪事件
6月20日、東京・台北間に無線電話開通
6月25日、築地本願寺完成 6月30日、レーム事件。ヒトラーがレーム、シュライヒャーらを粛清。

7月3日、齋藤内閣が帝人事件により総辞職。
7月4日、元老西園寺公望が後継首班を推す重臣会議開催(後継内閣決定の先例)
7月8日、岡田啓介内閣発足

8月、片倉衷が、歩兵少佐に進級し、同年12月から陸軍兵器本廠附兼軍務局付で対満事務局に配属(事務官)される。
8月2日、ドイツでヒンデンブルグ大統領が死去すると総統に就任。独裁的権力を掌握した。ヒトラーは経済的には軍備増強と公共事業により総需要を喚起し世界恐慌を克服した。
8月19日、独大統領選挙にてヒトラーが当選、総統と首相を兼任(、1945年)

9月、辻政信が、士官学校の幹事(副校長)に転じていた東條の誘いを受けて陸士本科の生徒隊中隊長に任命された。この人事は栄転であるモスクワ駐在武官職を断っての決断であり、また老大尉が多い生徒隊中隊長を陸大卒のいわゆる天保銭組が務めるのは前例がなかった。澄宮(後の三笠宮崇仁親王)が陸士本科に入学する予定であったことが関係しているとみられる。実際に澄宮は辻が中隊長を務める第一中隊に配属された。辻は演習で自ら生徒とともに泥まみれになるなど指導に力を入れたため生徒間での人気は非常に高かった。
9月21日、室戸台風上陸。最大風速60mに達する。四天王寺の塔が倒壊したほか、校舎の倒壊、列車の転覆などが相次ぐ。小学生676人の死者を含め死傷者3246人、家屋全半壊88046戸。
9月18日、ソ連が国際連盟加盟
9月21日、室戸台風が日本上陸
9月27日、日本・フィリピン間に無線電話開通

10月1日、陸軍省がパンフレット「国防の本義と其強化の提唱」を配布、社会主義国家創立を提唱
10月6日、カタルーニャが独立宣言、まもなく鎮圧
10月9日、ルイ・バルトゥ仏外相とユーゴ国王アレクサンダル1世が暗殺される(日本でも号外)
10月15日、中国工農紅軍が瑞金を脱出し長征を開始
10月25日、日本・蘭印間に国際電話開通
10月25日、高山本線全通

11月1日、満鉄が大連・新京間に「特急あじあ号」を運転開始(8時間30分)
11月2日、ベーブ・ルースら17名が米大リーグ選抜チームとして来日 (〜12月1日)
11月5日、谷崎潤一郎「文章読本」発刊
11月8日、千葉県東葛飾郡で牛乳による炭疽病発生 (警視庁が業者に牛乳17石の廃棄を命令)
11月11日、陸軍特別大演習(北関東平野)
11月16日、群馬県桐生市で昭和天皇誤導事件
11月16日、ベーブ・ルースが藤沢カントリー倶楽部でゴルフを楽しむ
11月19日、桜島フェリー運航開始
11月20日、陸軍士官学校事件が起こる。当時の士官学校は1932年(昭和7年)に発生した五・一五事件の影響もあって、軍部による国家革新を目指す国家社会主義思想が広まっていた。そのリーダー格であった第二中隊の武藤与一候補生は、皇道派に属する陸大の村中孝次大尉や磯部浅一一等主計とも接触しており、さらに陸士第一中隊の佐藤勝朗候補生にも声をかけた。佐藤から報告を受けた辻は生徒隊長の北野憲造に報告した上で、佐藤には内偵を命じた。佐藤、武藤と数名の候補生は磯部浅一、西田税、村中孝次らを訪問し、しばらくして村中大尉らは青年将校と士官学校生徒によるクーデター計画を打ち明けた。この情報を得た辻は参謀本部の片倉衷少佐および憲兵司令部の塚本誠大尉に通報した。さらに辻は塚本とともに陸軍次官・橋本虎之助中将の官舎へとおもむき、容疑者の摘発を強く主張した。
憲兵隊は村中孝次大尉、磯部浅一一等主計、片岡太郎中尉らを逮捕し、佐藤、武藤候補生らも軍法会議にかけられることになった。辻がスパイとして利用した佐藤を含め、陸士生徒5名が退学処分をうけ、青年将校らには不起訴、停職処分がくだされた。辻には重禁錮30日の処分がくだされ、その後、水戸の歩兵第2連隊付となった。
村中らのクーデター計画は具体性に乏しいものであったことが後の憲兵隊による調査で判明した。翌年に、村中と磯部はこの事件が軍務局長・永田鉄山と辻らによるでっちあげであると主張し、辻、片倉、塚本を誣告罪で告訴する事になる。
この件により、青年将校の間で逆に陸軍上層部に対する不信感が生まれることになった。
11月24日、流線型機関車第一号(C53の改造)
11月27日、第66臨時議会召集
11月27日、藤井真信蔵相が病気辞任(後任高橋是清)
11月29日、日本初のアメリカン・フットボール試合 (全日本学生対横浜在留外人)
11月29日、田辺元「社会存在の論理」(「哲学研究」)

12月1日、丹那トンネル開通。それに伴いダイヤ改正。
12月5日、ワルワル事件。伊とエチオピアが武力衝突。
12月8日、日米間に国際無線電話開通
12月11日、東京・樺太間に電話開通
12月22日、文部省に国語審議会設置
12月24日、第67議会召集
12月26日、大日本東京野球倶楽部結成。
12月29日、日本が米国にワシントン海軍軍縮条約の単独破棄を通告。
12月29日、ヨシフ・スターリンの「大粛清」が始まる。