西暦1939年(昭和一四年)

概要

「極東のユダヤ人保護」に奮戦する安江大佐に感銘を受け、親日家となったミハエル・コーガンが来日し、東京の「早稲田経済学院」で貿易実業を学んだ。5年間の日本滞在中、ロシア文学者の米川正夫の家に下宿し、ドストエフスキーの著作の翻訳を手伝う。 第二次世界大戦が起こる。(-1945年) ビルマ共産党結成。 パウル・ヘルマン・ミュラーがDDTの殺虫効果を発見。 アメリカでマンハッタン計画が開始。原子爆弾が人に及ぼす影響を調べるために、秘密裏に、高レベルのプルトニウムを民間人に注射をするなど非人道的な実験も行われた。これは最終的に、少なくとも数十人に死をもたらす実験となった。


1月4日、第1次近衛内閣総辞職
1月5日、平沼騏一郎内閣成立
1月15日、横綱双葉山が安藝ノ海に敗れる(連勝69)
1月15日、東京地下鉄: 新橋・渋谷間全通
1月24日、チリで大地震(M8.3、死者約8万名)
1月26日、バルセロナ陥落、フランコ軍の占領下に置かれる

2月14日、日本国民に対し「金製品回収・強制買い上げ」を日本政府が実施
2月27日、イギリス・フランスがスペインのフランコ政権を承認 3月、玉川塾(専門部)設置

3月2日、ピウス12世がローマ教皇に選出
3月14日、チェコスロバキアからスロバキアがドイツの保護国として独立、カルパト・ウクライナ共和国も独立
3月15日、ドイツ軍はプラハを占領し、チェコを保護国とした。さらにポーランドがチェコのテシェン地方を、ハンガリーがルテニア地方を獲得し、チェコスロバキアは解体された。
3月15日、全国の招魂社を護国神社に改称
3月15日、ドイツがチェコスロバキアのボヘミア占領
3月15日、ハンガリー王国がカルパト・ウクライナを攻撃
3月16日、ドイツがボヘミア・モラヴィアの保護領化を宣言(チェコスロバキア併合)、ハンガリーがカルパト・ウクライナ共和国を併合 3月22日、ヒトラーの要求はこれに止まらず、リトアニアからメーメル地方を割譲。さらにポーランドに対し、東プロイセンへの通行路ポーランド回廊及び国際連盟管理下の自由都市ダンツィヒの回復を要求。英仏にとって前年のミュンヘン会談が妥協の限界であり、ヒトラーにとってミュンヘン会談の成功は、更なる要求への一歩でしかなかった。
3月23日、ドイツがリトアニアのメーメルを併合 3月23日、ハンガリーがスロバキアを攻撃(スロバキア・ハンガリー戦争)
3月27日、NHKが有線によるテレビ実験放送を公開
3月28日、フランコ軍がマドリードを占領(スペイン内戦終結)
3月31日、ハンガリーが南部スロバキアの併合でスロバキアと和平する(スロバキア・ハンガリー戦争の終結)
3月31日、ミュンヘン会談での合意を反故にされた英仏は、宥和政策を捨てポーランドとの間に軍事援助を約束。ドイツとの対決姿勢をみせることになる。

4月1日、電気庁設置
4月7日、イタリアがアルバニア王国に侵攻
4月11日、ハンガリーが国際連盟を脱退
4月12日、米穀配給統制令法公布
4月27日、イギリスで徴兵制導入
4月28日、ドイツは1934年締結のドイツ・ポーランド不可侵条約を破棄し、ヨーロッパに戦争の危機が迫る。

5月1日、男鹿地震。男鹿半島に被害が集中し、死者27人、負傷者52人。全壊479、半壊858。(日本被害地震総覧)
5月2日、ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリッグ選手が現役を引退
5月6日、長雨により、渡良瀬川で洪水。鉱毒が流域に拡大する。
5月7日、スペインが国際連盟を脱退
5月12日、満蒙国境で日本・ソビエト連邦両軍が衝突(ノモンハン事件)
5月13日、NHKが無線によるテレビ実験放送を公開
5月22日、独伊軍事同盟締結

6月1日、昭和電工設立(日本電気工業と昭和肥料が合併)
6月7日、満蒙開拓青少年義勇軍壮行会挙行(明治神宮外苑競技場)
6月12日、国民党軍が中共新四軍を攻撃し幹部を虐殺(平江事件)
6月14日、日本軍、天津のイギリス租界を封鎖。
6月16日、日本国民の男子の長髪及び女子のパーマネントを禁止する「生活刷新案」が閣議決定

7月1日、日本軍がノモンハン攻撃開始
7月1日、東京芝浦電気設立
7月6日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始まる。
7月8日、国民徴用令公布 大川周明『日本二千六百年史』刊行、ミリオンセラーとなる

8月2日、アインシュタインがルーズベルト米大統領宛に原子爆弾開発を促す書簡を送付、マンハッタン計画の契機となる。
8月4日、英国海外航空創設
8月23日、各国が外交上の駆け引きを展開する最中、ドイツはソビエト連邦と、秘密条項を持った独ソ不可侵条約が締結。この条約締結は日本に衝撃を与え、当時の平沼騏一郎内閣は総辞職。その後もヨーロッパの戦争に不介入の方針をとっていた。 この条約には秘密議定書が有り、独ソ両国によるポーランド分割、またソ連はバルト3国、フィンランド、ルーマニアへの領土的野心を示し、ドイツはそれを黙認した。 一方、ポーランドは英仏からの軍事援助を頼みに、ドイツの要求を強硬に拒否。ヒトラーは武力による問題解決を決断する。 反共のナチス・ドイツと共産主義ソビエト連邦は相容れない、と考えていた世界中を驚かせた。
8月27日、ハインケル社(ドイツ)のHe178が世界初のジェット飛行に成功
8月28日、『欧州の天地は複雑怪奇』という声明を出して平沼内閣総辞職
8月30日、阿部内閣成立

9月1日早朝 (CEST) 、ドイツ軍がポーランドへ侵攻。 ドイツ軍は戦車と機械化された歩兵部隊、戦闘機、急降下爆撃機など機動部隊約150万人、5個軍でポーランドを侵攻した。ドイツ軍は北部軍集団と南部軍集団の2つに分かれ、南北から首都ワルシャワを挟み撃ちにする計画であった。 ポーランド陸軍は、総兵力こそ100万を超えるが、戦争準備ができておらず、小型戦車と騎兵隊が中心で近代的装備にも乏しく、ドイツ軍戦車部隊とユンカースJu-87急降下爆撃機の連携による電撃戦で殲滅された。
9月2日、イタリアが中立を表明
9月3日、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告した事により第二次世界大戦が開始。(まやかし戦争)
9月3日、大本営が関東軍にノモンハン事件の作戦中止を指令
9月4日、日本、第二次世界大戦への不介入を表明
9月4日、大協石油(現・コスモ石油)設立
9月5日、米国が中立を表明
9月6日、南アフリカがドイツに宣戦布告
9月9日、当時のドイツ軍は、まだ実戦経験が乏しかったため、ポーランド軍の反撃では思わぬ苦戦を強いられる場面も有った。
9月10日、カナダがドイツに宣戦布告
9月13日、大日本航空がニューヨーク・横浜間の飛行に成功
9月15日、モスクワで東郷茂徳大使とモロトフ外相間にノモンハン事件停戦協定成立
9月17日、ソビエト連邦は独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、ソ連・ポーランド不可侵条約を一方的に破棄して東からポーランドへ侵攻し、カーゾン線まで達した。 一方、ポーランドとの相互援助協定が有るにも関わらず、イギリスとフランスは、ソ連に対し宣戦布告はしていない。また両国はドイツには宣戦布告したが、救援のためポーランドまで進軍してドイツ軍と交戦はしていない。 またヒトラーとしては、以前から宥和政策を実施し、反共産主義という点で利害が一致していた英仏両国が、宣戦布告してくるとは想定していなかった。 国際連盟管理下の自由都市ダンツィヒは、ドイツ海軍練習艦シュレースヴィッヒ・ホルシュタインの砲撃と陸軍の奇襲で陥落。 ソ連はバルト3国及びフィンランドに対し、相互援助条約と軍隊の駐留権を要求。
9月18日、日本で「賃金統制令」・「価格等統制令」(九・一八停止令)公布
9月27日、ワルシャワがドイツの空爆で陥落。
9月28日、ソ連はエストニアと条約を締結。
9月28日、独ソ友好条約調印(ポーランド分割占領を決定)
9月30日、厚生省が「結婚十訓」を発表。「産めよ殖やせよ国のため」の標語を掲げる

10月1日、日本国内の石油が統制品となり、配給制となる
10月5日、ソ連はラトビアと条約を締結。
10月6日、ポーランド軍が降伏。ポーランド政府はルーマニア、パリを経て、ロンドンへ亡命した。 ポーランドは独ソ両国に分割され、ドイツ軍占領地域から、ユダヤ人のゲットーへの強制収容が始まった。ソ連軍占領地域でもカティンの森事件で25,000人のポーランド人が殺害され、1939年から1941年にかけて、約180万人が殺害又は国外追放された。
10月10日、ソ連はリトアニアと条約を締結し、要求を押し通した。しかしフィンランドはソ連による基地使用及びカレリア地方の割譲などの要求を拒否。 ドイツのポーランド侵攻後、ヒトラーは西部侵攻を何度も延期し、翌年の春まで西部戦線に大きな戦闘はおこらなかった事(まやかし戦争)もあり、イギリス国民の間に、「たぶんクリスマスまでには停戦だろう」という、根拠の無い期待が広まった。
10月15日、ニューヨーク市立空港(現ラガーディア空港)開港
10月20日、物価統制令・地代家賃統制令施行

11月6日、米穀強制買上げ制公布実施
11月8日、ミュンヘンのビヤホール「ビュルガー・ブロイケラー」で、家具職人ゲオルグ・エルザーによるヒトラー暗殺を狙った爆破事件が起きるが、その日、ヒトラーは早めに演説を終了したため難を逃れた。 なお、国防軍内の反ヒトラー派将校によるヒトラー暗殺計画も、その後何回か計画されたが、全て失敗に終わる。
11月16日、アル・カポネがアルカトラズ刑務所から釈放
11月21日、イギリス、自国が参加している海軍軍縮条約の無期限停止を国際連盟に通告
11月21日、日本郵船の客船「照国丸」が英国ハーウィッチ沖にて触雷により沈没(犠牲者なし)
11月30日、フィンランドはソ連による基地使用及びカレリア地方の割譲などの要求を拒否。ソ連はレニングラード防衛を理由に、フィンランドへ侵攻して冬戦争を起こす。この侵略行為により、ソ連は国際連盟から除名処分となる。

12月1日- 白米禁止令実施(七分づき以上を禁止)
12月13日、ラプラタ沖海戦
12月14日、国際連盟がフィンランド侵略を理由にソ連を除名
12月中旬、フィランド軍の反撃でソ連軍は予想外の大損害を被った。
12月17日、ウルグアイから国外退去を通告されたドイツのポケット戦艦『アトミラル・グラーフ・シュペー』がモンテビデオ港外で自沈
12月23日、第75議会召集
12月25日、木炭の配給実施
12月26日、トルコで大地震(M8.0、死者33,000名)