西暦1943年(昭和一八年)

概要

イタリア戦線と、その後のヨーロッパ戦線での戦いで、アメリカ陸軍の日系アメリカ人部隊第442連隊戦闘団は、アメリカ軍内における深刻な人種差別を跳ね除け、死傷率314%という大きな犠牲を出しながら、アメリカ陸軍部隊史上最多の勲章を受けるなど歴史に残る大きな活躍を残した他、対日戦においても暗号解読や通訳兵として貢献した。 これは戦後、日系アメリカ人の地位向上に大きく貢献した。また、法的に人種差別が認められていたアメリカにおいて、過酷な人種差別を受けていたアフリカ系アメリカ人も多数が下級兵士として参加し、ヨーロッパ戦線を中心に多数の勲功を上げた。 また、フランスの降伏後、亡命政権・自由フランスを指揮していたシャルル・ド・ゴールは、ヴィシー政権側につかなかった自由フランス軍を率い、イギリス、アメリカなど連合国軍と協調しつつ、アルジェリア、チュニジアなどのフランス植民地やフランス本国で対独抗戦・レジスタンスを指導した。 アジア太平洋戦線では、その後も占領地域を広げた日本軍は、わずか1国でアメリカ軍やイギリス軍、オーストラリア軍などの連合国軍を相手に1943年中盤まで一進一退を続けるものの、予想を超えて広がり過ぎた占領区域の維持が困難になり、同年後半より連合国軍の攻勢が増す。


1月、日本海軍はソロモン諸島のレンネル島沖海戦でアメリカ海軍の重巡洋艦シカゴを撃沈する戦果を挙げたが、島の奪回は絶望的となっていた。
1月1日、東京日日新聞と大阪毎日新聞が題号を『毎日新聞』に統一。
1月2日、ニューギニアのブナで日本軍全滅。
1月7日、日本放送協会により「前線へ送る夕」第一回放送。
1月7日、ニコラ・テスラ、ニューヨーク市マンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。 その死後、数トンに及ぶとされる彼の発明品・設計図は「アメリカ軍とFBIが没収した」「ユーゴスラビアを通じてソ連の手にも渡った」と噂され、半ば伝説のように流布した。 実際には一度FBIに押収されて複製された後、母国に返還された。原版はベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管されている。 以後、レインボー・プロジェクトはフォン・ノイマンに引き継がれる。
1月10日、スターリングラードを包囲したソ連軍は、総攻撃を開始。
1月11日、イギリスとアメリカが、当時日本に占領されている中華民国での租借権を放棄し、中国(重慶国民政府)に返還(イギリスに割譲された香港に隣接する九龍半島を除く)。
1月14日、連合国の首脳及び閣僚は、カサブランカにて会議を行う。今後の戦争の方針、枢軸国への無条件降伏要求、戦後の枢軸国の処理が話し合われた。しかし、連合国同士の思惑の違いも次第に表面化する事になった。
1月15日、アメリカ国防総省のオフィス、ペンタゴンが供用開始。 2月には、日本陸軍はガダルカナル島から撤退(ケ号作戦)した。半年にも及ぶ消耗戦により、日米両軍に大きな損害が生じた。

2月1日、ガダルカナル島から日本軍撤退(以後4日および7日に実施)。
2月1日、電力および電灯の使用規制が始まる。
2月2日、スターリングラード攻防戦でソ連軍(赤軍)に包囲されたドイツ第6軍は10万近い捕虜を出し降伏。歴史的大敗を喫した。勢いに乗ったソ連軍はそのまま進撃。以降はヨーロッパ戦線において連合国側が優勢に転じる。
2月8日、ソ連軍はクルスクを奪回する。
2月11日、アメリカ軍のドワイト・D・アイゼンハワー将軍がヨーロッパにおける連合軍の司令官に任命。
2月13日、日本野球連盟による「戦士の実施要綱」の通達。
2月14日、ソ連軍はロストフ・ナ・ドヌを奪回する。
2月15日、ソ連軍はハリコフを奪回する。
2月18日、ナチスによって「白いバラ」運動のメンバーが逮捕される。
2月18日、ゲッベルス独宣伝相がベルリンのスポルトパラストで行った演説で総力戦を宣言(総力戦演説)。
2月23日、帝国陸軍によるポスター「撃ちてし止まむ」5万枚配付。

3月、ドイツ軍はマンシュタイン元帥の作戦でソ連軍の前進を阻止。
3月1日、静岡三十五銀行と遠州銀行が合併し、静岡銀行設立。
3月2日、兵役法改正公布、8月1日施行。
3月4日、アメリカで第15回アカデミー賞授賞式。「ミニヴァー夫人」が最優秀作品賞など6部門を受賞。
3月6日、北海道倶知安町布袋座で大火災発生。
3月10日、ブラジルの大手銀行、バンコ・ブラデスコがサンパウロで設立。
3月12日、石油専売法公布
3月15日、ドイツ軍はハリコフを再度占領。
3月15日、大阪商科大学名和統一教授ら治安維持法違反で検挙(大阪商科大事件)
3月18日、首相の権限強化などを含む戦時行政特例法・戦時行政職権特例等公布
3月25日、桃太郎の海鷲が公開される。
3月27日、三井・第一銀行合併して帝国銀行設立する。
3月30日、建物疎開実施(東京と大阪の過密地帯における空襲時の延焼防止のための空地帯が指定)
3月31日、アメリカ・ニューヨークのブロードウェイでミュージカル「オクラホマ!が初演される。

4月1日、帝国銀行発足。
4月3日、イギリスの商船員だった中国人のプーン・リム、ドイツ潜水艦の攻撃により南大西洋で130日間救命ボートで漂流した後にブラジル沿岸で救助される。
4月9日、空襲警報放送にサイレンを採用
4月15日、くもとちゅうりっぷが公開される。
4月16日、アルバート・ホフマン、LSDの幻覚作用を発見
4月18日、山本五十六大将、米軍機の攻撃を受け戦死(海軍甲事件)。
4月18日、日本海軍の連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将が、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空でアメリカ海軍情報局による暗号解読を受けたロッキードP-38戦闘機の待ち伏せを受け、乗機の一式陸上攻撃機を撃墜され戦死した(詳細は「海軍甲事件」を参照)。 しかし大本営は、作戦指導上の機密保持や連合国による宣伝利用の防止などを考慮して、山本長官の死の事実を5月21日まで伏せていた。 この頃日本海軍の暗号の多くはアメリカ海軍情報局により解読されており、アメリカ軍は日本海軍の無線の傍受と暗号の解読により、撃墜後間もなく山本長官の死を察知していたことが戦後明らかになった。 なお、日本政府は「元帥の仇は増産で(討て)」との標語を作り、山本元帥の死を戦意高揚に利用する。
4月19日、ワルシャワ・ゲットー蜂起勃発。
4月20日、大宜味村青年学校開校式実施。東条英機内閣改造。
4月21日、イギリス・スコットランドのアバディーン、第二次世界大戦中で最大の空襲を受ける。

5月、北太平洋アリューシャン列島のアッツ島にアメリカ軍が上陸。日本軍守備隊は全滅し(アッツ島の戦い)、大本営発表で初めて「玉砕」という言葉が用いられた。。
5月1日、木炭および薪が配給制に移行。
5月2日、日本の戦艦「日向」が航空戦艦への改造が開始され、11月30日に完成。
5月13日、北アフリカ戦線では、西のアルジェリアに上陸したアメリカ軍と、東のリビアから進撃するイギリス軍によって、独伊枢軸軍はチュニジアのボン岬で包囲された。 ドイツ軍約10万、イタリア軍約15万は降伏し、北アフリカの戦いは連合軍の勝利に終わる。 これをもって、北アフリカのドイツ・イタリア両軍が敗北。
5月15日、ヨシフ・スターリンの指示によりコミンテルン(第3インターナショナル)が解散。
5月21日、大本営が山本五十六の戦死を発表。
5月24日、ヨーゼフ・メンゲレがアウシュヴィッツ収容所の主任医療士官に就任。中学生以上の学徒勤労動員決定。
5月29日、米領アリューシャン列島のアッツ島で日本海軍の守備隊が玉砕(アッツ島の戦い)。
5月31日、御前会議、大東亜政略指導大綱を採択 6月1日、東京都制公布。(7月1日施行)

6月5日、日比谷公園にて山本五十六大将の国葬。
6月8日、衣料簡素化の実施決定
6月8日、日本海軍の戦艦「陸奥」が呉港沖柱島泊地に停泊中、爆発事故を起こし沈没
6月15日、第82臨時議会召集。
6月24日。戦争末期のころは、文字通り世界中で日本軍が戦果をあげていた状況で、昭和天皇は各地の戦況を淡々と質問していた。この点で昭和天皇の記憶力は凄まじいものがあったと思われ、実際に幾つか指示等もしている。また、この様なやりとりのなかで答えてしまったがために、後にはひけずにニュージーランドなどオセアニア付近へ戦局を広げねばならなくなってしまった経緯が存在する。 戦争当時、皇室は大銀行や国策会社の大株主であり、結果的に戦時経済は皇室財政の拡大に貢献したという指摘もある(後述の財産参照)[要出典]。なお側近らによって、敗戦に備えて昭和19年に皇室財産をスイスに隠匿したという主張もある(後述の財産参照)。 第3南遣艦隊司令長官拝命の挨拶の為に参内した岡新海軍中将に対して、赴任先のフィリピン方面での陸海軍の協力体制について下問があった。「頗る順調」という意味の返答をした岡中将に対して、「陸軍は航空機運搬船(あきつ丸・神州丸など)を開発・運用しているが、海軍には搭載する艦載機のない空母がある。なぜ融通しないのか?」と更なる下問があった。その時はそれ以上の追求はなかったものの、時期が夏場だったこともあり、返答に窮する岡中将の背中には見る見るうちに汗染みが広がっていくのが見えたという。 天皇として自分の意を貫いたのは、二・二六事件と終戦の時だけであったと語っている。このことを戦後徳富蘇峰は「イギリス流の立憲君主にこだわりすぎた」などと批判している。

7月、イタリアが連合国に降伏。アメリカ・イギリスの大型戦略爆撃機によるドイツ本土空襲も激しくなる。 南太平洋では、ソロモン諸島での戦闘が依然続き、コロンバンガラ島沖海戦で、日本海軍艦艇は巧みな雷撃によりアメリカ艦隊に勝利するが、日本軍は物量に勝る連合軍によって次第に圧迫されていく。
7月1日、東京都制施行。東京府と東京市が統合され東京都が誕生
7月5日、第二次世界大戦: ドイツ軍(枢軸国軍)とソ連軍の間でクルスクの戦い始まる。
7月5日、8機のB-25が日本本土(幌筵島)へ初空襲。
7月5日、クルスクの戦いは、史上最大の戦車同士の戦闘となった。ドイツ軍はソ連軍の防衛線を突破できず、予備兵力の大半を使い果たし敗北。以後ドイツ軍は、東部戦線では二度と攻勢に廻ることは無くなる。
7月10日、連合国軍はイタリア本土の前哨シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)を開始し、シチリア島内を侵攻。
7月12日、太平洋戦争: コロンバンガラ島沖海戦
7月21日、国民徴用令改正公布。
7月24日、連戦連敗を重ね、完全に劣勢に立たされたイタリアでは、元駐英大使王党派のディーノ・グランディ伯爵が、当日の大評議会で、ファシスト党指導者ベニート・ムッソリーニの戦争指導責任を追及した。 この動きにムッソリーニの娘婿ガレアッツォ・チアーノ外務大臣ら、多くのファシスト党閣僚が賛同。
7月24日、アメリカ・イギリス両空軍によるドイツのハンブルクへの空襲作戦(ゴモラ作戦)開始。
7月25日午後、孤立無援となったムッソリーニは国王エマヌエーレ3世から解任を言い渡され、同時に憲兵隊に逮捕され投獄された。
7月25日、イタリアでムッソリーニ総統が失脚、ピエトロ・バドリオが首相就任。
7月29日、日本軍、アリューシャン列島のキスカ島からの撤退作戦を実施。

8月、ニューギニア島でも激戦が続いていたが、物資補給の困難から日本軍の退勢となり、年末には同方面の日本軍の最大拠点、ラバウルは孤立化し始める。
8月1日、アメリカ軍によるルーマニアの油田への爆撃作戦(タイダルウェーブ作戦)実施。
8月1日、滋賀県製薬設立。 8月2日、アメリカ海軍の魚雷艇と日本海軍の駆逐艦天霧が衝突し、魚雷艇艦長のジョン・F・ケネディが負傷。
8月5日、ソ連軍がオリョールを奪回。
8月11日、9機のアメリカ軍B-24が柏原飛行場、片岡海軍基地(占守島)を焼爆撃。
8月14〜24日、連合国の首脳及び閣僚は、ケベックにて会議を行う。
8月17日、連合国軍はイタリア本土に面した海峡の街メッシナを占領。ハスキー作戦が完了。
8月23日、ソ連軍がハリコフを最終的に奪回。
8月27日、クルスクの戦いが終わり、ソ連軍がドイツ軍に対して大打撃を与える。

9月1日、アメリカ軍が南鳥島を空襲。
9月2日、東京・上野動物園で、空襲時に逃亡して危害が及ぶ事を予防するため、象を含む25頭の猛獣と毒蛇の餌に毒を混入させ殺害。
9月3日、バーナード・モントゴメリーが指揮するイギリス第8軍の部隊がイタリア半島最先端部のレッジョ・ディ・カラブリアに上陸し(ベイタウン作戦)、イタリア戦線が開設(イタリア侵攻)。
9月3日、連合国軍のイタリア本土上陸が開始。ムッソリーニの後任、ピエトロ・バドリオ元帥率いるイタリア新政権は連合国に対し休戦。
9月4日、東京・上野動物園で空襲に備えて処分された動物たちの慰霊祭開催。
9月8日、連合国はイタリア降伏を発表。ローマは直ちにドイツ軍に占領され、国王とバドリオ首相ら新政権は、連合軍占領地域の南部ブリンディジへ脱出した。
9月9日、アメリカ第5軍部隊、イタリア半島南部のサレルノ(アヴァランチ作戦)とタラント(スラップスティック作戦)に上陸。
9月10日、鳥取地震。揺れは西日本の全域で観測されるが、被害のほとんどは鳥取市内に集中。死者1083人、負傷者3259人。全壊7485、半壊6158。(日本被害地震総覧)
9月10日、川崎市緑川霊園開設。
9月11日、アメリカ軍、12機のB-25、8機のB-24で幌筵島攻撃。B-24は柏原前進地を爆撃。
9月12日、逮捕後、新政権によってアペニン山脈のグラン・サッソ山のホテルに幽閉されたムッソリーニは、ヒトラー直々の任命で、ナチス親衛隊オットー・スコルツェニー大佐率いる特殊部隊によって救出された。
9月15日、ムッソリーニはイタリア北部で、ヒトラーの保護下ナチス・ドイツの傀儡政権「イタリア社会共和国(サロ政権)」を樹立し、同地域はドイツの支配下に入る。
9月21日、日本政府、徴兵猶予の取り消しと法文系大学教育停止が決定。
9月23日、日本で勤労挺身隊(25歳未満女子)の動員開始。
9月23日、イタリア社会共和国が成立。
9月24日、ソ連軍はスモレンスクを占領。
9月30日、日本、御前会議にて「今後執るべき戦争指導の大綱」を決定。絶対国防圏設定。

10月、南太平洋戦の初戦の敗退を乗り越え、戦力を整えたアメリカ軍はこの頃から、いよいよ反攻作戦を本格化させ、南西太平洋方面連合軍総司令官のダグラス・マッカーサーが企画した「飛び石作戦(日本軍が要塞化した島を避けつつ、重要拠点を奪取して日本本土へと向かう)」を開始する。
10月1日、姫路海軍航空隊が開設。
10月1日、海軍兵学校岩国分校が開校。
10月1日、美保海軍航空隊が開隊。
10月1日、鶉野飛行場が完成。
10月1日、朱鞠内湖ダムが完成。
10月1日、アメリカ軍がナポリ占領作戦を開始。
10月2日、照宮成子、納采の儀。
10月2日、大学その他の高等教育機関に学ぶ学生生徒の徴収猶予が撤廃。
10月2日、職業野球で名古屋軍の石丸進一がノーヒットノーランを達成。
10月3日、日本統治下のインドネシアでて郷土防衛義勇軍が創設。
10月3日、伊183が竣工。
10月5日、中央気象台生野観測所が豊岡測候所生野観測所となる。
10月6日、ベララベラ海戦。
10月11日、夕刊の日付が発行当日に変更(従来は翌日付)。
10月11日、西能登呂砲台および宗谷砲台が米海軍潜水艦ワフーを砲撃、海軍航空隊により撃沈。
10月11日、東京都議会第1回臨時会開催。
10月11日、日本国のフィリピンにおける軍政が撤廃。
10月12日、呂113竣工。
10月13日、イタリアのバドリオ政権、連合国側に立ってドイツに宣戦布告。
10月14日、フィリピン第二共和国成立
10月14日、ドイツのソビボル強制収容所で大脱走事件発生。
10月15日、「浜波」舞鶴工廠にて竣工
10月15日、伊184竣工。
10月16日、出陣学徒壮行早慶戦開催(戸塚球場)。
10月16日、高瑞丸が那覇から150kmの地点で撃沈される。。
10月17日、泰緬鉄道が全線接続(開通式は10月21日)。
10月18日、財団法人大日本育英会が発足。
10月19 - 30日、連合国の首脳及び閣僚は、モスクワにて会議を行う。
10月21日、学徒出陣壮行会挙行(明治神宮外苑競技場)。
10月21日、上田丸子電鉄設立(丸子鉄道と上田電鉄が合併)。
10月21日、日本の支援でスバス・チャンドラ・ボースが自由インド仮政府の成立を宣言し、自らが国家主席兼首相に就任。
10月25日、第83臨時議会召集。
10月26日、国鉄常磐線の土浦駅で三重衝突事故。
10月27日、日本郵船の富士丸が基隆から門司に向かう途中、奄美大島付近で被雷沈没。
10月27日、ニュージーランド軍、日本が占領するソロモン諸島のトレジャリー諸島に上陸作戦を実施(グッドタイム作戦)。
10月28日、アメリカ海軍が駆逐艦エルドリッジ (護衛駆逐艦)を利用してフィラデルフィア計画を実施した、とされる。 アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアの海上に浮かぶ「エルドリッジ」を使って遂に大規模な実験「フィラデルフィア計画」が秘密裏に行われる。 当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、 実験は新しい秘密兵器、磁場発生装置テスラコイルを使い 「レーダーに対して不可視化する」というものであった。 エルドリッジの船内には多くの電気実験機器が搭載されており、 そのスイッチを入れると強力な磁場が発生、駆逐艦がレーダーからはもとより肉眼でも認められなくなった。 実験は成功したかのように見えたが不可思議な現象が起こる。実験の開始と共に海面から緑色の光がわきだし、次第にエルドリッジを覆っていった。 次の瞬間、艦は浮き上がり発光体は幾重にも艦を包み、見る見る姿はぼやけて完全に目の前から消えてしまった。実験開始直後に駆逐艦はレーダーから姿を消す。 ここまでは参加者達の予想通りであった。 しかし直後エルドリッジは不可視どころか、完全に姿を消してしまい、おまけに2,500km以上も離れたノーフォークにまで瞬間移動してしていた。 それから数分後、またもや発光体に包まれ艦はもとの場所に瞬間移動する。 再び戻ってきたエルドリッジだが、驚くべきことに船員は、体が突然燃え上がったり衣服だけが船体に焼き付けられたり、甲板に体が溶け込んだりしていた。 ある者は発火した計器から火が移り火達磨に、またある者は突然凍り付いてしまい冷凍化した。半身だけ透明になったり、壁の中に吸い込まれた者もいた。 生き残った乗組員も精神に異常をきたし、エルドリッジの内部はまさに地獄絵図の如くであった。 唯一、一部のエンジニアたちは機械室にいたため 鉄の隔壁に守られ影響を受けなかった。 こうして実験自体は成功したが、行方不明・死亡16人、発狂者6人という取り返しのつかない結果になった。 このことに恐れおののいた海軍上層部はこの極秘実験を隠蔽した。
※ アメリカの見解は以下のとおり。 エルドリッジは実在の駆逐艦である。アメリカ海軍歴史センター、および海軍研究所(ONR)の調査によれば、エルドリッジは8月27日にニューアークで就役して以来、1943年中には一度もフィラデルフィアに寄港していない。 この期間を含めたエルドリッジの戦時日報はマイクロフィルムに保存されており、誰でもそのコピーの閲覧を請求できる。 また、ノーフォークで、テレポートしてきたエルドリッジを目撃したとされる商船アンドリュー・フルセスは、記録によると10月25日にはノーフォークを出港しており、以降1943年中は地中海にあった。 また、同船に乗り組んでいた米海軍予備士官ウィリアム・S・ドッジ少尉は、彼も他の乗組員もノーフォーク在泊中に特に変わったものは見ていないと断定する手紙を寄せている。 そもそも、エルドリッジとアンドリュー・フルセスが同時にノーフォークに在泊していたことはない。 エルドリッジは1951年にアメリカ海軍から除籍され、ギリシャ海軍に払い下げられ、1991年には除籍、解体のため売却されている。 ノーフォークを管轄する第5海軍管区の将兵は、海軍工廠で行われていた様々な実験がこの都市伝説の元となったのではないかと考えている。 また現在に至るまで信じられている説としては、「消磁」に関する実験が誤解されたのではないか、という説がある。この消磁とは、艦船が持つ磁気が地磁気を乱すのを探知して爆発する「磁気機雷」から身を守るため、艦船に電線を巻き付け電流を流し、電磁石の原理でもともとの艦艇の磁気を打ち消す作業のことである。 消磁をきちんと行えば、艦船は磁気機雷からは「見えなく」なる。ただし、人間の目やレーダー、ソナーなどには通常通り映る。
別の説としては、1950年代に駆逐艦ティマーマン(Timmerman)で行われた、通常の400Hzの発電機ではなく、コイルを小型化できる高周波数(1,000Hz)の発電機を搭載する実験が、この都市伝説の元となったというものもある。 この実験では高周波発電機から放電現象などが起こった。乗組員に実験による影響はなかった。
なお、1956年に、様々な疑似科学的な手書きのコメントが書き込んである、モーリス・ジェソップが出版したUFOに関する本が海軍研究所に郵送されてきた。 個人的に興味を持った研究所の研究員がこの本をジェソップに見せたところ、ジェソップはこの本のコメントを書きこんだ人物と、以前フィラデルフィア計画について手紙を彼のところに送ってきた人物は同一人物だろうと推断したという。
※ 10月30日、東京宝塚劇場にて月組公演が開催される。演目は歌劇「大空を継ぐもの」、舞踊劇「桃源の朝比奈」、歌劇「唯一の祖国」で11月26日まで開演された。

11月、ギルバート諸島のマキン島、タラワ島の戦いで日本軍守備隊が全滅、同島はアメリカ軍に占領された。 日本の東條英機首相は、満洲国、タイ王国、フィリピン、ビルマ、自由インド仮政府、南京国民政府などの首脳を東京に集めて大東亜会議を開き、大東亜共栄圏の結束を誇示する。 しかしこの年の年末には、完全に態勢を立て直したアメリカ軍に加え、イギリス軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍、中華民国軍など、数カ国からなる連合軍と、さしたる味方もなく1国で戦う上、兵士の補給や兵器の生産、軍需物資の補給に困難が生じる日本軍との力関係は、連合国有利へと傾いていった。
11月1日、内閣印刷局が官制改正により大蔵省印刷局となる。
11月1日、鉄道省と逓信省が改組により運輸通信省へ、また商工省と農林省を廃止し、軍需省と農商省を設置。
11月1日、万世橋駅が営業を休止(最終営業日は10月31日)
11月1日、橿原測候所が文部省から運輸通信省に移管。
11月2日、東京都都の紋章を制定。
11月3日、旭栄丸内地向けに出航、11月5日南支那海にて沈没。
11月3日、福岡県の伊田町と後藤寺町が合併して田川市となる。
11月3日、小倉警察署香春巡査屯所が田川警察署に名称変更。
11月5日、伊29呉を出発。
11月5日、日本の空母「隼鷹」、トラック島への飛行機輸送の帰途、沖ノ鳥島沖で米潜水艦の雷撃を受ける。
11月6日、東京で日本が主導した大東亜会議が開催され、大東亜共同宣言が発表される。
11月6日、ソ連軍はキエフを占領。
11月9日、東京帝国大学の安田講堂前で出陣学徒への東大壮行会実施。
11月10日、米艦隊がタラワ沖に侵攻(第三次タラワ沖海空戦)。
11月10日、日本銀行高知支店設立。
11月11日、大分市、日岡村を編入。
11月13日、門司から台湾へ移動中の輸送船団が朝鮮半島南方を航行中に米潜水艦の魚雷により沈没。
11月14日、レナード・バーンスタイン、風邪のため演奏会の途中でニューヨーク・フィルハーモニックの指揮ができなくなったブルーノ・ワルターの代役をつとめ、CBSラジオを通じて全米に評判を呼ぶ。
11月15日、海上護衛総司令部設置。
11月18日、岩手県二渡神社が郷社に昇格し社名を大槌稲荷神社と改める。
11月18日、イギリス空軍440機によるベルリン空襲。
11月20日、伊175潜水艦により、マキン島西方にて米海軍護衛空母リスカム・ベイ撃沈。
11月20日、四国税務税理士会設置。
11月22日、ルーズベルト・チャーチル・蒋介石の米英中三国首脳によるカイロ会談開催(11月27日まで)。
11月22日、レバノン、自由フランス政府の独立承認により完全独立を達成。
11月22 〜26日、連合国の首脳及び閣僚は、カイロにて会議を行う。
11月23日、および25日、ギルバート諸島のマキンの戦い、タラワの戦いにて日本海軍陸戦隊が玉砕。
11月23日、空母海鷹竣工。
11月23日、ベルリン・ドイツ・オペラ歌劇場が破壊される。
11月25日、台湾の新竹空襲、大学等の修業及び在学年限の短縮措置(『官報』第5061号)。
11月25日、茨城急行自動車が東武自動車に戦時下統合により合併される。
11月25日、臺灣の新竹飛行場が空襲を受ける。 11月25日、不二会報創刊。
11月26日、富山県魚津市の大火。
11月28日〜12月1日、ルーズベルト・チャーチル・スターリンの米英ソ三国首脳によるテヘラン会談開催(12月1日まで)。
11月29日、ユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議の第2回会合が開催され、戦後の政体について討議。

12月1日、学徒出陣第一陣(陸軍)。新一円札発行、武内宿禰を肖像とする。 日本放送協会が新潟、松山、豊原に分室を設置。
12月2日、ドイツ空軍がイタリア南部のバーリを空襲し、アメリカ貨物船の積荷だったマスタードガスの流出も加わって多数の死傷者が発生。
12月4日、アメリカで1929年以来の世界恐慌の終結が正式に宣言。第二次世界大戦のための軍需生産によって失業者が急速に減少し、連邦議会の決定によって公共事業促進局が廃止。
12月10日、文部省、学童の疎開を促進する。
12月14日、インターナショナルに代わる新しいソ連国歌が制定。
12月15日、銅像等の非常回収開始。
12月16日、リョービ(当時の社名は菱備製作所)設立。
12月20日、ボリビアで軍事クーデター発生。
12月24日、徴兵年齢を1歳引き下げ、満19歳からとする。第84議会召集。