西暦1946年(昭和二一年)

1946年 概要

国際連盟、解散。 インドシナ戦争(1946年 - 1954年)


出来事

1月1日。昭和天皇の詔書(いわゆる人間宣言)により、天皇の神格性や「世界ヲ支配スベキ運命」などを否定し、新日本建設への希望を述べた。 イギリスやアメリカ、ソ連などの連合国による占領下において、新日本建設に関する詔書(人間宣言)が官報により発布された。戦後民主主義は日本に元からある五箇条の誓文に基づくものであることを明確にするため、詔書の冒頭において五箇条の御誓文を掲げている。1977年8月23日の昭和天皇の会見によると、日本の民主主義は日本に元々あった五箇条の御誓文に基づいていることを示すのが、この詔書の主な目的である。この詔書は人間宣言と呼ばれている。しかし、人間宣言はわずか数行で、詔書の6分の1しかない。その数行も、何かを放棄したりしてはおらず、事実確認を行う内容である。この詔書は、日本国外では天皇が神から人間に歴史的な変容を遂げたとして歓迎され、退位と追訴を要求されていた昭和天皇の印象もよくなった。しかし、日本人にとってあたりまえのことを述べたにすぎなかったため、日本ではこの詔書がセンセーションを巻き起こすようなことはなかった。 同日、この詔書について新聞各紙の第一面で報道された。しかし、日本の平和や天皇は国民とともにあるといったことを報道するのみで、人間宣言にはほとんど触れていない。天皇の神格否定はニュースとしての価値が全くなかったと言われている。 これと前後して、天皇がGHQ本部を表敬訪問した際に撮影された、GHQ総司令官でアメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥と一緒に並んだ全身写真が公開(情報局により「不敬」を理由に発禁処分となったという)されている。天皇が正装のモーニングを着用し直立不動でいるのに対し、マッカーサーがラフな服装で腰に手を当てたリラックスした態度であることに、国民は改めて敗戦の重みを思い知らされた。天皇はマッカーサーに比べて身長が低かったことも衝撃を与えている。また、マッカーサーは「天皇のタバコの火を付けたとき、天皇の手が震えているのに気がついた。できるだけ天皇の気分を楽にすることにつとめたが、天皇の感じている屈辱の苦しみがいかに深いものであるかが、私には、よくわかっていた」と回想している(「マッカーサー回想記」より)。 戦前の天皇は国民との接触はほとんど無く、公開される写真、映像も大礼服や軍服姿がほとんどで、現人神、大元帥と言う立場を非常に強調していた。 ポツダム宣言には天皇や皇室に関する記述が無く、非常に微妙な立場に追い込まれた。そのため、政府や宮内省などは、天皇の大元帥としての面を打ち消し、軍国主義のイメージから脱却すると共に、巡幸と言う形で天皇と国民が触れ合う機会を作り、天皇擁護の世論を盛り上げようと苦慮した。具体的に、第1回国会の開会式、伊勢神宮への終戦報告の参拝時には、海軍の軍衣から階級章を除いたような「天皇御服」と呼ばれる服装を着用した。 さらに、連合国による占領下では、礼服としてモーニング、平服としては背広を着用してソフト路線を強く打ち出した。また、いわゆる「人間宣言」でGHQの天皇制擁護派に近づくと共に、一人称として朕を用いるのが伝統であったのを私を用いたり、巡幸時には一般の国民と積極的に言葉を交わすなど、日本の歴史上最も天皇と庶民が触れ合う期間を創出した。
1月1日、詔書(いわゆる天皇の人間宣言) : 濁点・句読点が付された初めての詔書
1月1日、中華民国重慶で政治協商会議
1月1日、米ソがソウル会談
1月3日、富坂警察署襲撃事件
1月4日、GHQ: 超国家主義団体の解体を指令 (SCAPIN-548 Abolition of certain political parties, associations, societies, and other organizations)
1月4日、GHQ: 公職追放を指令 (SCAPIN-550, Removal and exclusion of undesirable personnel form public office)
1月4日、「マアチャンの日記帳」連載開始(少国民新聞)
1月5日、公職追放: 内閣・官僚が崩壊状態となり,また前年12月に解散した衆議院の選挙が法定期限の2月に実施不可能となる
1月10日、国際連合総会第1回開催(〜12月14日)
1月12日、GHQ: 衆議院総選挙の時期を3月15日以降とするよう指示 (SCAPIN-584, Election)
1月12日、野坂参三が延安より博多に帰国
1月12日、国際連合安全保障理事会第1回開催
1月15日、GHQ: 青函連絡船の1等・2等船室を接収
1月18日、名古屋で洋品店を経営していた熊沢天皇(寛道)がマッカーサーに陳情を行ない、天皇の巡幸の後を追いかける格好で全国遊説を開始し、対面を要求した。当初GHQは熊沢に利用価値を認め、外電や雑誌『ライフ』に報道、遊説には護衛の将校をつけるなど篤く遇していたが、天皇への国民の敬意が深いことが知れると、GHQの熊沢への処遇はどんどん薄くなっていった。同時に19人も存在した自称天皇も姿を消していった。 初の日本社会党政権の片山哲に対しては、「誠に良い人物」と好感を持ちながらも、急激な改革に走ることを恐れ、側近を通じて自分の意向を伝えるなど、戦後においても政治関与を行なっていたことが記録に残っている。
1月18日、南朝子孫と自称する熊沢天皇が名乗出て話題となる
1月19日、マッカーサー元帥が極東国際軍事裁判所の設置を命令
1月19日、NHK「のど自慢素人音楽会」(後のNHKのど自慢)放送開始
1月21日、自由党が憲法改正案要綱を発表
1月21日、GHQ: 公娼廃止を指令 (SCAPIN-642, Abolition of licensed prostitution in Japan)
1月23日、神社本庁設立
1月28日、GHQ: 映画検閲を指令 (SCAPIN-658, Motion picture censorship)
1月30日、日本ジャーナリスト連盟設立(聴濤克巳・鈴木東民・阿部眞之助ら)
1月31日、英軍が日本進駐開始
1月25日、皇典講究所がGHQによる圧迫を受けて解散、事業と資産は学校法人國學院大學と神社本庁に継承されている。

2月。昭和天皇は約9年かけて日本全国を巡幸し、各地で国民の熱烈な歓迎を受けた。三井三池炭鉱の地下1000mもの地底深くや、満州からの引揚者が入植した浅間山麓開拓地などにも赴いている。開拓地までの道路は当時整備されておらず、約2kmの道のりを徒歩で村まで赴いた。 巡幸が開始された当時は「神ではない、ただの猫背の中年男」、「石のひとつも投げられればいい」と天皇の存在感を軽視していたGHQは、これを見て大いに驚いた。当時の英国紙は「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地への巡幸において、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている」と書き、驚嘆を表した。
2月1日、第1次農地改革実施
2月1日、軍人恩給停止(1953年復活)
2月2日、英連邦軍が日本進駐開始
2月3日、マッカーサー元帥が憲法3原則をGHQ 民政局に指示
2月3日、通化事件が起き中国在留日本人が多数殺害される。
2月5日、帝国大学総長会議にて南原繁東京帝大総長が「女性にも門戸を開く」と言明
2月8日、政府が憲法改正要綱(松本試案)をGHQ に正式提出
2月11日、秘密にされていたヤルタ協定全文が発表
2月13日、GHQ: 憲法改正松本試案を拒否しGHQ 案を手交
2月14日、進歩党が憲法改正案要綱を発表
2月17日、政府が「預金封鎖」を告知
2月19日、天皇が神奈川県下を行幸
2月19日、部落解放全国委員会結成
2月20日、ソ連が千島列島・樺太の領有を布告
2月23日、山下奉文元陸軍大将の絞首刑が執行
2月23日、社会党が憲法改正案要綱を発表
2月24日、GHQ: 東京宝塚劇場を接収しアーニー・パイル劇場とする
2月26日、極東委員会第1回会議がワシントンで開催
2月27日、内閣統計局(麻布)火災: 国勢調査カードなどが焼失
2月28日、公職追放令公布

3月1日、労働組合法施行 (公布1945年12月22日)
3月1日、国鉄運賃値上げ (旅客1.5倍,貨物3倍)
3月5日、英チャーチル前首相が鉄のカーテン演説を行う
3月6日、政府が憲法改正草案要綱を発表(主権在民・天皇象徴・戦争放棄)
3月6日、日刊スポーツ創刊 (初のスポーツ紙)
3月10日、高崎市民オーケストラ (後の群馬交響楽団) 創立
3月11日、文藝春秋社が解散届けを提出
3月13日、文藝春秋社従業員代表池島信平が続刊の意思表明
3月15日、国鉄労働組合結成
3月15日、片岡仁左衛門一家殺害事件。
3月16日、婦人民主クラブ結成
3月18日、警視庁講習所で初の婦人警官入所式
3月19日、劇団俳優座第1回公演 (「検察官」, 東京劇場)
3月22日、米陸軍アイケルバーガー第8軍司令官が米将兵に日本女性への公然な愛情表現を禁止する旨指令
3月26日、国民の国語運動連盟(代表安藤正次)が公文書を口語体にする旨首相に建議
3月27日、GHQ: 特殊慰安施設閉鎖
3月31日、立命館土曜講座開始(現在も続く)

4月1日、マッカーサー元帥が極東委員会に対し「総選挙の結果次第では再解散も考慮」と回答
4月1日、学習研究社設立
4月2日、マッカーサー元帥が米将兵に日本女性との醜行自粛を訓示
4月5日、連合国対日理事会第1回会合開催 (東京)
4月7日、ひめゆりの塔建立
4月8日、国民学校で最後の入学式
4月9日、GHQ: 総選挙の投票・開票は米軍が監視する旨発表
4月10日、第22回衆議院議員総選挙: 婦人議員39名当選
4月11日、GHQ: ペニシリンの製造を森永製菓・万有製薬に限定して許可
4月17日、政府がひらがなで口語体の憲法改正草案成文を発表
4月18日、国際連盟が解散を決議
4月20日、持株会社整理委員会令公布施行
4月22日、幣原内閣総辞職
4月22日、「サザエさん」連載開始 (夕刊フクニチ)
4月24日、沖縄民政府発足
4月27日、初の婦人警官62名が勤務開始
4月28日、日本映画演劇労働組合結成
4月30日、鳩山一郎自由党総裁が自由党の単独組閣を表明
4月30日、経済同友会創立

5月1日、メーデー復活(第17回、11年ぶり)
5月1日、広島・長崎に白血病患者が出始める
5月3日、極東国際軍事裁判所開廷
5月4日、GHQ: 鳩山一郎自由党総裁が公職追放該当と通告: 首相後任選出が振り出しにもどる
5月7日、東京通信工業(現在のソニー)設立
5月10日、米アイゼンハワー陸軍参謀総長来日
5月11日、アイゼンハワー元帥が「日本の再建はドイツより容易」と表明
5月13日、長崎警察署襲撃事件
5月14日、吉田茂が自由党総裁を受託
5月16日、吉田茂に組閣命令
5月16日、第90臨時帝国議会召集(開会6月20日)
5月19日、東京で食糧メーデー、プラカード事件発生(6月22日不敬罪で起訴、11月2日名誉毀損で有罪)
5月20日、前日の事件を受けてマッカーサー元帥が「組織的指導下の大衆的暴力と物理的脅迫手段は許さない」と声明
5月21日、GHQ: 皇族特権廃止の覚書を交付
5月22日、第1次吉田内閣成立
5月23日、映画「はたちの青春」(主演幾野道子)封切: 最初の接吻映画(GHQの指示)として話題になる
5月29日、連合国対日理事会でディーン・アチソン代表が「メーデーにおける少数分子の煽動は排撃する」と言明
5月31日、天皇がマッカーサー元帥を訪問
5月31日、ヨルダン・ハシミテ王国成立
5月31日、中華民国政府が南京に遷都

6月1日、日本人将兵によってベトミン軍のクァンガイ士官学校が設立
6月2日、イタリアで国民投票により王政廃止を決定
6月3日、枢密院本会議開催
6月5日、日本ローマ字会・カナモジカイがローマ字・カタカナの普及と漢字全廃推進を表明 6月6日、天皇が千葉県下を行幸
6月6日、中華民国の依頼により外務省が「支那の呼称を避けることに関する件」を各官公庁に通達、雑誌社・新聞社に連絡(公表13日)
6月7日、GHQ: 東京にある洋式家屋を接収する旨通告
6月8日、枢密院で内閣憲法改正草案を無修正可決
6月9日、GHQ: 警察制度改革に関するバレンタイン報告書を発表: 警察の地方分権と民衆化など11項目
6月10日、イタリア共和国成立 (王政廃止)
6月12日、聯合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する勅令公布
6月13日、讀賣新聞が編集局長鈴木東民らに退社命令(第2次読売争議)
6月15日、復員庁官制公布施行(第一復員省と第二復員省を統合)
6月18日、一時帰国中のジョセフ・キーナン主席検事が天皇を訴追しないとワシントンで表明
6月19日、麻薬取締規則公布 6月20日、第90臨時帝国議会開会(閉会10月11日): 開院式勅語が初めて口語体となる
6月20日、 『歴史学研究』復刊(122号)
6月23日、NHK「今週の議会から(後の国会討論会)」放送開始
6月29日、GHQ: 地理授業再開を許可 (SCAPIN-1046 Reopening of school courses in geography)
6月29日、フランスがコーチシナ臨時政府を樹立

7月1日、米ビキニ環礁で原爆実験
7月2日、極東委員会が新日本国憲法の基本原則を採択
7月4日、第三次フィリピン共和国がアメリカ合衆国より独立
7月5日、文部省が公民館設置を市町村に通達
7月9日、厚生省が日本脳炎を法定伝染病に指定
7月12日、中華民国で国民政府軍が解放区への攻撃を開始 (第3次国共内戦開始)
7月14日、文部省が食糧事情を理由に本年度の健康優良児表彰を中止と発表
7月15日、警察官のサーベル廃止し警棒を携帯
7月23日、日本新聞協会設立
7月23日、東条村強盗事件
7月26日、日本プロ野球の大阪タイガース対パシフィック戦が試合時間55分で最短記録。
7月27日、全日本港湾労働組合結成
7月31日、米軍渉外局が連合軍専用海水浴場への日本人立入禁止を発表

8月1日、日本労働組合総同盟結成
8月3日、都市対抗野球大会復活 (後楽園球場)
8月5日、富山駅前派出所襲撃事件
8月9日、株式会社整理委員会設置、財閥解体の本格的開始。
8月11日、大阪拘置所で集団脱走 (115人)
8月12日、経済安定本部設置
8月12日、物価庁設置
8月15日、全国中等学校野球大会再開 (西宮球場)
8月16日、経済団体連合会(経団連)創立
8月19日、全日本産業別労働組合会議(産別会議)結成
8月20日、小平事件: 連続婦女暴行殺人犯小平義雄逮捕
8月20日。昭和天皇、靖国神社参拝に行幸。
8月23日、金比羅丸事件 8月24日、衆議院が憲法改正案を修正可決
8月24日、インドネシア共和国独立宣言

9月1日、医師国家試験制度実施
9月5日、第1回芸術祭(文部省芸術課長今日出海提唱)
9月9日、生活保護法公布(施行10月1日)
9月10日、教育刷新委員会設置
9月11日、食糧科学研究所設立(京都帝国大学内)
9月13日、アーモン・ゲートが処刑さる
9月16日、経済団体連合会(経団連)設立
9月24日、GHQ: 財閥解体の具体方針を発表: 三大財閥の所有証券を持株会社整理委員会へ移管
9月24日、南朝鮮でアメリカ占領政策反対ゼネラル・ストライキ
9月26日、GHQ: ソ連領の日本人送還を発表
9月26日、労働関係調整法公布 9月29日、新潟日報社襲撃事件
9月29日、ベトナム民主共和国が対仏独立宣言
9月29日、日本赤十字が旧満州に残された日本人引揚者ら収容所の人々の帰国移送を開始

10月1日、大邱10月事件で南朝鮮人230万人がアメリカ軍政に抗議して蜂起する。
10月1日、ニュルンベルク国際軍事裁判: 最終判決
10月6日、貴族院が特別委員会の憲法改正修正案を可決
10月7日、衆議院が貴族院から回付の憲法改正案再修正案に同意(日本国憲法成立)
10月12日、GHQ: 日本史学科再開はSCAP認可の教科書使用を条件とする旨指令 (SCAPIN-1266, Reopening of school courses in Japanese history)
10月13日、帝室博物館再開
10月14日、新憲法の公布日を11月3日と決定
10月15日、GHQ: 皇太子の家庭教師としてヴァイニング夫人来日
10月20日、文部省が国民学校用国史教科書『くにのあゆみ』を発表(一部墨消)
10月25日、GHQ: 石油関係法令廃止と配給会社解散を指令 (SCAPIN-1294, Distribution of petroleum products)
10月29日、枢密院で憲法改正案を可決
10月30日、戦時補償特別措置法施行
10月、明仁皇太子、昭和25年(1950年)12月まで、昭和天皇の「西洋の思想と習慣を学ぶ」という方針に従い、アメリカ合衆国の著名な児童文学者にしてクエーカー教徒のヴァイニング夫人(en:Elizabeth_Gray_Vining)が家庭教師として就き、その薫陶を受ける。ヴァイニング夫人を介して、ダグラス・マッカーサーとも会っている。彼女がやってきたとき、英語名(ジミーと伝わる)をつけられるのを拒否した。このほか学習院初等科時代に、容貌が蚊取り線香の香炉を想起させたこと・色黒だったことから「チャブ」と学友たちによってつけられた愛称が伝わる。

11月・臨時大招魂祭。昭和天皇、靖国神社参拝に行幸。
11月2日、プラカード事件に名誉毀損判決
11月3日、日本国憲法公布
11月5日、文部省が当用漢字を発表
11月12日、特飲街と赤線区域を指定
11月12日、財産税法公布
11月12日、閣議で現代かなづかいを決定
11月16日、内閣が当用漢字・現代かなづかいを告示
11月20日、日本商工会議所設立
11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現蕨市)で「青年祭」が開催、今日の成人式の発祥
11月23日、青森県五所川原で大火(841戸焼失)
11月24日、青森県庁全焼
11月25日、第91帝国議会召集
11月26日、GHQ: 十大財閥家族全資産の持株会社整理委員会への移管を命令
11月30日、GHQ: 政府接収の在日連合国人資産の返還を命令

12月、GHQ民生局は、天皇の余りの影響力に、昭和天皇の中国地方巡幸の兵庫県における民衆の国旗を振っての出迎えが指令違反であるとして巡幸を中止させたが、国民からの嘆願や巡幸を求める地方議会決議が相次いだため、1948年からの巡幸再開を許可した。 * 戦後の全国行幸で多くの説明を受けた際、「あ、そう」という無味乾燥な受け答えが話題になった。もっともこの受け答えは後の園遊会などでもよく使われており、説明に無関心だったというよりは単なる癖であったと思われる。本人も気にして「ああ、そうかい」と言い直すこともあった。寛仁親王も、「陛下は『あ、そう』ばかりで、けっして会話が上手な方ではなかった」と語っている。もっとも謁見の機会を得た細川隆元は、その「あ、そう」一つとっても、  「ああ、そう、そう」  「あ、そう」  「ああ、そーう」  「ああ、そう、そうか」  「あ、そう、ふーん」  「ああ、そう、うん」などのバリエーションがあったと書いている。細川曰く「同感の時には、体を乗り出すか、『そう』のところが『そーう』と長くなる」(『天皇陛下と語る』)とのこと。 一方で表情は非常に豊かで、満面の笑みを浮かべる天皇の表情のアップなども写真に残っている。ちなみにこの、『あ、そう』と独特の手の上げ方は非常に印象的で、昭和天皇の癖として小中学生果ては幼稚園児にいたるまで、国民に広く知られており、似た挨拶の仕方をする者に「陛下」との通称がつくほど親しまれていた。この所作を物真似する者も多かった。過去には、タモリが声真似をレパートリーとしていた。 第二次世界大戦を戦った経験もあってか、各国の戦争問題については特に関心が深く、時にはかなり踏み込んだ発言も行なっていたという。そうした言葉が表に出ることはないが、天皇の戦争についての考察は常に「命令権者」、即ち往年の大元帥としての視線だったと指摘する声がある。
12月3日、NHK「話の泉」放送開始
12月5日、樺太引揚第1船雲仙丸が函館に入港
12月7日、シベリア引揚第1船が舞鶴に入港
12月19日、信越線で吹雪のため列車転覆(死者11名)
12月16日、GHQ: 国家予算の編成・実行・修正は許可を要すると指令
12月20日、首相官邸デモ事件で官邸が襲撃され、警察官に負傷者が出るとともに拳銃が奪われる
12月21日、南海大地震。西日本の大半で大小の被害が出る。死者1330人、負傷者 3842人、不明113人。全壊9070、半壊19204他。津波が東京から大隅半島に至る太平洋沿岸各地を襲い、流出家屋1451、船舶2349隻が被害。津波は更にカリフォルニアに至り、また海震が観測される。(日本被害地震総覧)
12月21日、南海地震が和歌山県潮岬沖で発生(死者1443名)
12月24日、フランスで第四共和国憲法制定
12月27日、第92回帝国議会召集(最後の帝国議会、1947年3月31日解散)
12月30日、文部省が六三三四教育制度を発表