西暦401年〜450年

401年:辛丑
大和/ 第20代天皇、安康天皇が生まれる。
東晋/ 亀茲(クチャ)の仏僧である鳩摩羅什が長安に来訪。
後燕/ 第3代皇帝、慕容盛が死去。 僭称皇帝、慕容麟が死去。 元号を光始に改元。
後涼/ 第3代皇帝、呂纂が死去。 元号を神鼎に改元。
北涼/ 初代皇帝、段業が死去。 元号を永安に改元。
ローマ/ 4月、東ローマ帝国テオドシウス朝の第2代皇帝テオドシウス2世が生まれる。 テオドシウス2世の妃アエリア・エウドキアが生まれる。 12月19日、第39代目ローマ教皇アナスタシウス1世が死去。
402年:壬寅
東晋/ 廬山の慧遠が白蓮社を結成する。
※ 廬山(ろざん、中国語ではLushan)は中国江西省九江市南部にある名山。 峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。 廬山国家風景名勝区に指定されているほか、廬山自然公園としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。 また「廬山第四紀氷河地形国家地質公園」としてジオパークにも指定されており、ユネスコの世界ジオパークネットワークにより認定されている。 東晋時代の五斗米道の主導者、孫恩が死去。 元号を元興に改元。 元号を大亨に改元。
南涼/ 第2代君主、禿髪利鹿孤が死去。 元号を弘昌に改元。
代:柔然/ 柔然の社崙が初めて可汗を称する。
新羅/ 第17代王、奈勿王師今が死去、実聖王が即位。
ローマ/ 西ローマ皇帝ホノリウスがミラノからラヴェンナへ遷都。
履中天皇四年(403年):癸卯
大和/ 諸国に国史(ふみひと)と呼ばれる書記官を設置し、国内の情勢を報告させた。
北涼・南涼連合軍/ 後涼を滅ぼす。
後涼/ 滅亡する。
東晋/ 桓玄が東晋の安帝から帝位を簒奪。
ローマ/ ボルレンティアの戦いが起こり、ローマの軍司令官スティリコ、西ゴート族のアラリック1世を敗る。
404年:甲辰
大和/ 倭軍、もとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される。(広開土王碑)
東晋/ 桓謙が離反。天康元年と定める。 中国東晋の軍人・政治家、桓玄が死去。
北魏/ 元号を天賜と定める。
ローマ/ コンスタンティノポリス大主教ヨハネス・クリュソストモスが追放される。 修道士テレマクスの死亡事故により西ローマ皇帝ホノリウスが剣闘士観戦を禁止し競技場を閉鎖。
履中天皇六年3月(405年):乙巳
大和/ 履中天皇が病気で崩御。崩年は70歳。
東晋/ 元号を義熙と定める。
東晋の画家、顧醅之が死去。
南燕/ 南燕の初代皇帝、慕容徳が死去。 元号を太上と定める。
西涼/ 元号を建初と改元。
百済/ 第17代の王、阿?王が死去。腆支王が即位。
西秦/ 前秦の皇族、苻宏が死去。
反正(はんぜい)天皇元年(406年):丙午
反正天皇即位。別名を瑞歯別天皇(みつはわけのすめらみこと)と言う。『古事記』には水歯別命(みずはわけのみこと)とある。 中国の『宋書』・『梁書』に出てくる倭の五王の中で、倭王讃を仁徳天皇もしくは履中天皇とした場合、倭王珍である可能性が高い。406年に、履中天皇の崩御にともない即位。 天下太平であり、何事もなく在位5年、410年に崩御。『古事記』によれば齢60。都は丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや、大阪府松原市上田7丁目の柴籬神社が伝承地)。
ヨーロッパ/ フン族の王アッティラが生まれる。

フン族とは、当時中央ヨーロッパを支配した匈奴の一族の事。一節によると、西秦に敗北した匈奴がそのままヨーロッパへ逃れ、フン族になったのではないか、という話である。 当時、ヨーロッパでは、ローマ帝国とフン族の争いが続いた。 ヴァンダル・スエビ・アラン族などの集団がライン川を渡りガリアに侵入
東晋/ 南朝宋の第2代皇帝、少帝が生まれる。
407年:丁未
後秦/ 赫連勃勃が後秦から独立して夏を建国。
後燕/ 第4代(末代)皇帝、慕容熙が死去。 元号を建始と改元。 クーデターが起こり滅亡。新たに北燕が建国される。
夏/ 元号を龍昇と定める。
北燕/ 元号を正始と定める。
東晋/ 南朝宋の第3代皇帝、文帝が生まれる。
ローマ/ 9月14日、キリスト教の聖職者、神学者、説教者、ヨハネス・クリュソストモスが死去。
408年:戊申
北魏/ 第3代皇帝、太武帝が生まれる。(後に華北を統一する皇帝)
南涼/ 11月、元号を嘉平に改元。
ローマ/ 5月1日、東ローマ皇帝アルカディウスが死去。 8月22日、ローマの軍司令官スティリコが死去。 8月22日、西ローマ皇帝ホノリウスの命令でスティリコが処刑される。
409年:己酉
東晋/ 中国仏教の指導者・翻訳者の鳩摩羅什が死去。
西秦/ 7月、元号を更始に改元。
北魏/ 南北朝時代の北魏の創始者、道武帝が死去。 元号を永興に改元。
北燕/ 北燕の初代天王、高雲が死去。 元号を太平に改元。 410年:庚戌
大和/ 2月12日、第18代天皇、反正天皇が死去。
東晋/ 東晋が南燕を滅ぼす。
南燕/ 第2代皇帝、慕容超が死去。 滅亡する。
ローマ/ 8月24日から27日、西ゴート人のアラリックがローマ市を占領・掠奪。西ローマ帝国の衰亡が決定的になる。 ペラギウスがローマ劫掠を境にカルタゴへ赴く。 西ローマ帝国のブリタンニア支配の終わり。 西ゴート族の王アラリック1世が死去。
411年:辛亥
現スペイン/ スエビ族がイベリア半島のガラエキア(現ガリシア州)地方に定住。
現フランス/ フランス南部ローヌ川流域にブルグンド王国が建国。
412年:壬子
大和/ 旧暦に換算すれば、この年12月に、第19代天皇・允恭天皇が即位する事になる。(允恭天皇元年となる。) 西秦/ 元号を永康に改元。
北涼/ 元号を玄始に改元。
高句麗/ 第19代の王・広開土王が死去。(広開土王碑文による)。『三国史記』では413年の死去とする。
允恭(いんぎょう)天皇元年(413年):癸丑
大和/ 允恭天皇即位。名を、雄朝津間稚子宿禰尊(おあさずまわくごのすくねのみこと)という。中国の『宋書』・『梁書』の倭の五王の中の倭王済に比定されている。反正天皇の崩御にともない、群臣達が相談し仁徳天皇の兄弟の中から允恭天皇を即位させた。都は遠飛鳥宮(とおつあすかのみや、現在の奈良県高市郡明日香村飛鳥か)。
東晋/ 倭国王(履中天皇)、東晋に朝献する。(東晋・義煕9、『晋書』安帝紀、『太平御覧』) この伝承は、履中天皇が東晋に朝献した後、献物が東晋に到着する前に履中天皇が崩御されたために上記のような記録となっている。 東晋で劉裕による「義煕土断」が行われる。
夏/ 龍昇7年→元号を鳳翔にに改元。
高句麗/ 第20代王に、長寿王が建つ。
ローマ/ 東ローマ皇帝テオドシウス2世により首都コンスタンティノポリスの「テオドシウスの城壁」が完成する。
414年:甲寅
西秦/ 南涼を滅ぼす。
北魏/ 元号を神瑞に改元。
高句麗/ 百済の首都漢城を攻め落とし、半島南部を席巻。これにより百済国と任那国(伽邪。意富加羅国の事)は、同盟を結ぶ。日本は援軍を送り、百済・任那・日本朝廷の連合軍により、高句麗の進撃を防ぐ。以降、日本朝廷は任那に任那日本府を置く。これにより、百済・任那・新羅の三国の拮抗が保たれる。この時、ヤマト朝廷は任那・新羅との繋がりが強い。 高句麗の広開土王(好太王)碑建つ。
現フランス/ 西ローマ皇女ガッラ・プラキディアと西ゴート王アタウルフがナルボンヌで結婚。西ゴート人がイベリア半島に侵入。 西ゴート人がイベリア半島に侵入。
415年: 乙卯
大和/ 新羅から医者を呼び寄せる。
北魏/ 新たな国、白亜栗斯・劉虎が独立する。
白亜栗斯・劉虎/ 元号を建平元年と定める。
現フランス/ フランス南部からイベリア半島にあたる地域で、西ゴート王国が成立する。
現北アフリカ/ 7月、カルタゴで教会会議、ペラギウスの説くペラギウス主義が非難決議された。
東ローマ帝国(現トルコ)/ テオドシウス2世によってアヤソフィアの大聖堂が再建された。
現インド/ デリー郊外でデリーの鉄柱が建立された。
現エジプト/ アレクサンドレイア教会の裁定により、アレキサンドリアからユダヤ人が追放された。 エジプトのアレクサンドリアで女性哲学者ヒュパティアがキリスト教の修道士らに惨殺される。
416年:丙辰
氏・姓が乱れ、詐称するものが多かったのでこれを正しくした。
417年:丁巳
東晋/ 東晋の劉裕が後秦を滅ぼし、一時的に洛陽・長安を奪還する。
後秦/ 滅亡する。
418年:戊午
夏の赫連勃勃が長安を占領。
420年:庚申
劉裕が東晋から政権を奪って、宋 (南朝)を建国(宋の武帝)。
421年(宋・永初2年):辛酉
倭王の讃(履中天皇)、宋に朝献し、宋の武帝から、除綬の詔うける。(おそらく安東将軍倭国王)(『宋書』倭国伝)
ヴェネツィア/ ヴェネト地方住民がアドリア海に面したラグーナ(潟)に都市を建設(ヴェネツィア建国の伝説)。
424年:甲子
西ローマ帝国/10月23日ウァレンティニアヌス3世が副帝に就任
宋(南朝)/第2代目皇帝の少帝が崩御。
425年(宋・元嘉2年):乙丑
大和・宋/ 倭王の讃(履中天皇)、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる。(『宋書』倭国伝)
ヨーロッパ/ エフタルがバクトリア地方に侵入
ローマ/ 東ローマ皇帝テオドシウス2世によりコンスタンティノポリス大学(パンディダクテリオン)が創建される。
427年:丁卯
高句麗が平壌に遷都する。陶淵明没。 詩人の陶淵明が死去。
428年:戊辰
サーサーン朝支配下のアルメニア王国で王政が廃絶される。
429年:己巳
覇王ガイセリック率いるゲルマン人のヴァンダル族が北アフリカにヴァンダル王国をたてる。
430年 (宋・元嘉7年):庚午
大和/倭国王、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる。(おそらく讃(履中天皇))(『宋書』文帝紀) この頃、各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
ヴァンダル族に包囲されたヒッポレギウスにて司教アウグスティヌスが死去。
431年:辛未
エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。
432年:壬申
ローマ教皇シクストゥス3世の命によりローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が建立される。 パトリキウスがアイルランドでのキリスト教宣教を始める。
434年:甲戌
アッティラがフン族の王となる。
允恭天皇二四年(436年):丙子
木梨軽皇子を皇太子にしていたが、同母妹の軽大娘皇女と通じていたので軽大娘皇女を伊予に流した。
437年:丁丑
西ローマ帝国将軍アエティウスがフン族を派遣し第一ブルグント王国を滅ぼす。
438年(宋・元嘉15年):戊寅
これより先、倭王讃(履中天皇)没し、弟珍(反正天皇)立つ。 この年、珍(反正天皇)宋に朝献し、自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める。(『倭国』倭国伝)4月、宋、の文帝、珍を安東将軍倭国王とする。(『宋書』文帝紀)珍はまた倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される。(『宋書』倭国伝) 東ローマ帝国で『テオドシウス法典』が発布される。
439年:己卯
北魏の太武帝が華北を統一、中国は南北朝時代となる。 カルタゴがヴァンダル族に占領され、その王国の首都とされる。
440年:庚辰
千葉県市原市の養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。(〜450年)
442年:壬午
且渠氏により高昌国が成立。
443年(宋・元嘉20年):癸未
倭国王の済王(允恭天皇)、宋に朝献して、安東将軍倭国王とされる。(『宋書』倭国伝) スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。
446年:丙戌
北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
448年
西暦648年に唐から天竺への特使である王玄策が二度目の天竺行にて唐に連れ帰った、バラモン教の老僧、那羅邇娑婆寐(ナーラーヤナスヴァーミン)の話によれば、那羅邇娑婆寐が生まれたのはこの年になる。
449年:己丑
エフェソス強盗会議が開かれる
450年:庚寅
北魏で国史の獄が起こり、崔浩らが処刑される。 宋の文帝が北伐の軍を起こすが、北魏の太武帝の反撃により長江北岸まで奪取される。