紀元前2500年〜2000年代 - 歴史    歴史|EL XIII   

歴史

紀元前2500年〜2000年代

メモ書きとして書きためていた年表を、一部掲載してみました。
※メモ書き程度なので、真偽あやしいモノもあります。

前2494年
エジプト第4王朝が終焉し、第5王朝の開始。
ウセルカフ王(マネトの記録ではウセルケレス)が統治する。
第5王朝では、小規模なピラミッドが建設されていた他、ピラミッドテキストなどが制作されてた。
また、ラー進行が重要な宗教政策となり、ヘリオポリスに建設されたのラー神殿に対して莫大な寄進を繰り返した。
ヘリオポリスのラー神殿は、別名を太陽神殿といった。
第5王朝の歴代の王は、死後において、太陽神ラーと一体化するという思想が産まれた。
その後、様々な地域でもラーの太陽神殿が建設された。
前????年
ラガシュ朝の王アクルガルが死去。エアンナトゥムが王位を継承する。
後において、エアンナトゥムは「世界の王」を称していた。
前2487年頃
エジプト第5王朝においてサフラー王が統治。
前2473年頃
エジプト第5王朝においてネフェルイルカラー・カカイ王が統治。
前2470年
カイナンの息子、マハラレルが895歳において死去。
前????年
ラガシュ朝の王アクルガルが死去。エアンナトゥムが王位を継承する。
前2463年頃
エジプト第5王朝においてシェプセスカラー・イシ王が統治。
前2454年頃
エジプト第5王朝においてネフェルエフラー王が統治。
前2450年
ギザの大ピラミッドに、「オリオンを見つめるシリウスの千里眼」が据え付けられる。
オリオンとの光の同調により、紀元後(西暦)1987年に起こる「ハーモニック・コンバージェンス」のための光の活性化が開始される。
前2447年頃
エジプト第5王朝においてニウセルラー王が統治。
前????年
ウンマ王朝/ウシュ王がラガシュに侵攻する。
ラガシュ王朝/エアンナトゥム王がこれを撃退し、ウンマ王朝/ウシュ王を打ち倒す。
ウンマ王朝/ウシュ王の息子エナカリが王位を継承し、和平を結ぶ。
前2425年
ラガシュ王朝/エアンナトゥム王がウンマのエナカリ王を倒して、シュメール諸都市を制圧。
ウンマ王朝の王位は、ウル・ルンマが継承した。
前????年
ラガシュ王朝/エアンナトゥム王が死去。兄弟であるエンアンナトゥム1世が王位を継承した。
前????年
ウンマ朝がラガシュ朝より、大麦を賃借したが、利子が膨らんで返済不能に。ウンマ朝の王ウル・ルンマは、これを踏み倒して、同盟国とともにラガシュを侵略する。(伝承)
ラガシュ朝の王エンアンナトゥム1世が迎撃するも、ウル・ルンマがエンアンナトゥム1世を打ち倒す。
エンアンナトゥム1世が戦死したため、息子のエンメテナが王位を継承した。
ラガシュ朝の王エンメテナは、ウルク朝の王ルガルキギンネドゥドゥと同盟を結び、ウンマ朝の侵略をくい止める。その後、ラガシュ朝の王エンメテナとウンマ朝の王ウル・ルンマとの戦争が続く。
前???年頃
エジプト第5王朝においてメンカウホル・イカウホル王(メンカウ王)が統治。
前????年
ラガシュ第一王朝エンメテナがウンマ王ウル・ルンマの侵攻に備えて、ウルク王ガルキギンネドゥドゥと同盟を結ぶ。
ウンマ王ウル・ルンマがラガシュ・ウルク連合軍に破れて戦死。
前????年
ウンマ王ウル・ルンマの戦死に伴い、イルがウンマ王として即位。ラガシュ第一王朝エンメテナと和平条約を締結。
前???年頃
エジプト第5王朝においてジェドカラー・イセシ王(ジェドカウ王)が統治。
前????年
ウンマの王イルが死去。ギシャッキドゥが王位を継承する。
前????年
ラガシュ朝の王エンメテナが死去。エンアンナトゥム2世が王位を継承する。
前????年
ウンマの王ギシャッキドゥが死去。ブブが継承する。
前????年
ラガシュ朝の王エンアンナトゥム2世が死去。エンエタルジが王位を継承する。
前2383年頃
エジプト第5王朝においてウナス王が統治。
前????年
ウンマの王ブブが死去。次の者が王が継承する。(名は残されていない)
前2371年
ウンマの祭司ルガルザゲシ(Lugal-zage-si)が、前王を倒して王(エンシ)位に就く。
前2359年
ラガシュ朝の王エンエタルジが、ラガシュの高僧の息子であるルガルアンダを継承者として指名。ルガルアンダがラガシュの王として即位。
前2354年頃
ウルカギナ王のラガシュを略奪・破壊し、続いてウルク・ウル・ラルサなどシュメール諸都市を制圧。
ルガルザゲシがウルク第3王朝を建国。
紀元前2350年頃 - 紀元後300年
メソポタミアで早期王朝IIIb期が終了した。
前約2350年頃
エジプトで宗教勢力の変動や政治混乱が起こる。
ウナス王は長期にわたって王位にあったにも関わらず男子に恵まれなかった。そのため死後に深刻な後継者問題が生じた。
前2349年
ラガシュ第一王朝にて、ウルイニムギナが王ルガルアンダを倒して、王位を簒奪する。
紀元前2345年頃
ウナス王が死に、エジプト第5王朝が終わりを告げた。
エジプト第6王朝が始まった。(紀元前2360年との説もある)
ウナス王の娘とされるイプト1世を妻としたテティ1世が王となる。
前2341年
ウンマの王ルガルキサルシが、ラガシュの王ウルカギナ(ウルイニムギナ)を倒す。さらにルガルキサルシは、ラガシュの都を破壊する。
続いてウルク・ウル・ラルサなどシュメール諸都市を制圧。
前2340年
ウンマの王ルガルキサルシが、ウルク第三王朝を建国。
キシュ第4王朝もウルク第三王朝の属国となるが、この時、キシュ第4王朝の祭司王ウル・ザババに仕えていたサルゴンが反乱を起こし、キシュ王朝から独立する。
前2338年
マハラレルの息子ヤレドが962歳において死去。
前2335年
サルゴンがキシュ第4王朝に侵攻し、祭司王ウル・ザババを打ち倒す。これによりウル・ザババは死去。
前2334年
サルゴンがアッカド帝国を樹立。キシュ第4王朝の王位につく。
前約2333年
ウセルカラーの企てにより、エジプト第6王朝テティ王が護衛士に暗殺される。
エジプト第6王朝ウセルカラー王がが統治。
ウセルカラー王が政権を安定させる事に失敗。
わずか1年足らずで統治が終わる。
前約2332年頃
エジプト第6王朝ペピ王が統治。
前2330年
アッカド帝国の王サルゴンが、キシュ王朝の王位をジムダルに継承させる。
アッカド王サルゴンがメソポタミア統一を開始。中央集権国家を作ったが、後に衰退した。シュメール人とアムル人の都市であるマリが最初の破壊を受けた。
(サルゴンがアッカド帝国を建国した、古代メソポタミアの王。建速素戔嗚尊ではないか、という説もある。)
前????年
ウルの月の巫女エンヘドゥアンナが生まれる。
前2320年
アッカド帝国の王サルゴンが、ウルク第三王朝の王ルガルキサルシを打ち倒す。ウルク第3王朝の王位を簒奪し、シュメールとメソポタミアを征服した。
前約2319年
現、太陽星系が白羊宮の時代へ移行。
前????年
アッカド王朝サルゴンが、エラム地方に遠征し、アワン朝王を中心に連合した4人のエラムの王を打倒してこれを征服。
娘のエンヘドゥアンナはウル市の月神ナンナの神官となり、賛歌などさまざまな文学作品を残した。
前????年
アッカド王朝サルゴンが、エラム地方の北隣のシムルムも制圧した。
前2315年
ウンマの王にして、ウルク第三王朝の王ルガルキサルシが、エンリルの門(ニップル神殿)において獄死。
前約2300年頃
惑星連合-記憶集合複合体「ヤハウェ」に対する、人の信仰の価値観が変化する。
肯定的哲学を人々に伝え残す。
人と、さらに別の存在との間に「アナック」という種が誕生する。
エノク書/創世記6・4によれば、グリゴリ(ウォッチャーズ)と人間の間に「ネフィリム」という種が生まれたとある。
民数記13・33によれば、「アナック」は「ネフィリム」の出であるとの事。
「車輪の中の車輪」という名の天使(メル=カヴァ?)、「不休の目」を持つ智天使(ケルビム?もしくはオファニム)の存在を形成する。
これにより、ハルマゲドンの概念により強い思念形態が加わる。
北ヨーロッパで金属が使われ始めた。(青銅器時代の始まり)
ナイル川とモエリス湖を結ぶ運河が作られた。
前????年
アッカド王朝サルゴンが、西方遠征に乗り出し、マリを始め、エブラ、アナトリア南東部の「銀の山」(タウルス山脈)、「レバノン杉の森」(アマヌス)を征服した。 ただし、これらの西方遠征説話は、彼の孫のアッカド王ナラム・シンの物に非常に類似しており、ナラム・シンの業績がサルゴンに仮託されたものである可能性がある。 これらの業績によって彼は「上の海(地中海)から下の海(ペルシア湾)までを征服した王」と記録される。そして彼が作ったこの領域は史上初の帝国であるといわれる。この様な記述はルガルザゲシのそれを踏襲した物と考えられる。 イェリコの街が、異民族の来襲によるものと思われる火災にあい、廃都となる。
前2300-2200年頃
現在はイラク国立博物館に収蔵されている男性の頭像がニネヴェで作られた。
前2300-2184年頃
現在はペンシルベニア大学に収蔵されている、エンヘドゥアンナのディスクがウルで作られた。
前2299年
キシュ第4王朝の王ジムダルが死去。ウシ・ワタルが継承する。
前2292年
キシュ第4王朝の王ウシ・ワタルが死去。イシュタル・ムティが継承する。
前2288-2224年
現在はブルックリン美術館に収蔵されている、ペピ2世とアンクネスメリラー2世の像が作られた。
前2281年
キシュ第4王朝の王イシュタル・ムティが死去。イシュメ・シャマシュが継承する。
前2279年
アッカド王/サルゴンが死去。 リムシュがアッカド王朝を継いだ。
リムシュ王は、父王サルゴンや甥のナラム・シンの影に隠れあまり注目されることの無い王であるが、征服王の一人であったことを示す記録はかなりある。なお、次の王マニシュトゥシュはリムシュの兄であったが、なぜ弟であるリムシュの方が先に王となったのかは不明である。
前2278年頃
史上最も在任期間の長い君主であるペピ2世が6歳で王の座に就いた。
幼少の王に代わって実権を握ったのは、彼の母アンクネスメリラー2世と宰相のジャウ(共にクウイ家の出身)。
ペピ2世が統治を開始した。
ウル王カク(kaku)などに率いられてシュメール地方を中心とする大反乱が発生。この大反乱には他にラガシュなど他の主要都市も参加していた。リムシュはこの反乱を人工的な洪水を起こして殲滅するなどして鎮圧に成功し、王朝の基盤を固めた。即位に伴う反乱を鎮圧した後、彼は下の海(ペルシア湾)を船で超えて遠征を行い、またエラムへも遠征を行ったという。
前2270年
キシュ第4王朝の王イシュメ・シャマシュが死去。シュ・イリシュが継承する。
前2269年
アッカド王/リムシュがが宮廷において部下に粘土板で撲殺される。。兄のマニシュトゥシュががアッカド王朝を継いだ。
父サルゴンや息子ナラム・シンに比較して注目されることが少ない王であるが、彼も征服者として各地に遠征を行ったとされている。
また北へ向かってアッシュール市やニネヴェ市にも痕跡を残した。後代のアッシリア王シャムシ・アダド1世の記録では、マニシュトゥシュはニネヴェの神殿を創建したとされている。
前2255年
キシュ第4王朝の王シュ・イリシュが死去。ナンニアが継承する。
前2254-2218年頃
現在はルーヴル美術館に収蔵されている、ナラム・シンの石碑がおそらくシッパルで作られた。
前2254年
ノアの息子ヤペテ(ヤフェト)が生まれる。
アッカド王/マニシュトゥシュが宮廷で粘土板によって撲殺される。ナラム・シンがアッカド王朝を統治。
エラム地方や、アナトリア半島南東部、地中海地方(エブラ)に遠征を行ってアムル人を討ち、サルゴンを上回るアッカド史上最大の領土を築き上げた。彼が行った遠征は考古学史料が比較的残っており、サルゴンの遠征に比較して実証性が高い。こうした遠征を行うために国内各地に要塞を建築し、連絡網を築いた。しかし大幅に拡大した領土では反乱が相次いだ。記録によれば、領土各地で反乱が発生したために1年間に9回の戦闘を行ったという。この「1年間に9回の戦闘を行った」反乱は、恐らくシュメールなど帝国の中核地帯で発生した反乱と思われる。ナラム・シンは、この反乱の鎮圧成功を高らかに謳い上げ、以後碑文などに記す自分の名前に神を意味する発音しない限定符「ディンギル」を付けるようになる。
前2250年
国際層序委員会による基底年代において、この年から西暦1949年までの期間が、第四紀:完新世/メーガーラヤンの区分となる。これ以前は、第四紀:完新世/ノースグリッピアン(紀元前6236年〜2251年)。
前2250年頃
フルリ人の都市国家ウルケシュ(テル・モザン遺跡)の王トゥプキシュ・エンダンの治世。
ナラム・シン率いるアッカド帝国によって、マルダマンが侵攻される。これ以降、マルダマンは崩壊と再建を繰り返す。
前2248年頃
キシュ第4王朝の王ナンニアが、王位を捨てて宝石商となる。これによりキシュ第4王朝が滅亡する。
前2240年頃
エラム王クティク・インシュシナクが即位。この王のもとでエラムはスサやアンシャンなどイラン高原南西部全域を支配下に置く。
前2234-2184年頃
中国の伝説的な王である舜の治世。
前2217年
アッカド王/ナラム・シンが死去。息子のシャル・カリ・シャッリが王位を継承する。
ナラム・シンはメソポタミア史上初めて自らを神格化した王であるが、シャル・カリ・シャッリはそれを受け継ぐ事はなかった。
彼を神とする臣下の文書が残されてはいるが、シャル・カリ・シャッリ自身が自らを神として記させた文書は現在まで確認されていない。彼の治世には帝国各地に異民族が侵入し、その対応に追われた。具体的に記録に残っているのはアムル人、フルリ人、そしてグティ人の侵入である。彼は西方の都市バサル(現:ジェベル・ビシェリ)でアムル人と戦って勝利し、またグティ人の王シャッラクを破るなどして帝国の維持に努めた。
特に問題となっていたのがグティ人の侵入である。彼の時代の書簡の中には、農場主がグティ人が襲ってきたら家畜を略奪されないよう街の中に入れるようにと指示しているものもある。更にシュメール諸都市でも反乱が発生し、彼の著しい努力も空しくアッカド王朝は弱体化の一途を辿った。
前2217-2193年
アッカド帝国が遊牧民に侵略される。
前2215年頃
グティの軍がザグロス山脈よりメソポタミアに進出しアッカド軍を破る。 この時期、グティ人の他にアムル人やフルリ人がアッカド国内に侵入し続ける。
前2210年
グティ人をまとめていた指導者が、グティの国の基盤をつくる。王の名は記されていない。
前2204年
ノアが500歳の時、息子セムが生まれる。
前2200年
トルコにあった古代都市テオスから出土した石版によれば、古代ギリシャには官僚制度がすでに存在しており、仕事も現代とあまり変わらないことが判明。
メソポタミア地域で、大規模な気候変動が発生。この事から、大地の乾燥が拡大し、火山噴火が続くようになる。ユーフラテス川は1.6m低下した。南メソポタミア一帯では、人口の減少が見受けられ、50年後には、アッカド帝国自体が干ばつで滅亡する。
グティ人がアッカド、ウルクを侵略し始める。民話によれば、これは神がナラム・シンに神罰を与えたものとしている。
前2199年
グティの王が死去。
前2198年
イムタがグティを王朝として樹立する。
前2197年
グティ王朝の王イムタを補佐するかたちでインキシュシュが共同統治をおこなう。
前2197年
グティ王朝の王イムタを補佐するかたちでサルラガブが共同統治をおこなう。
前2196年
グティ王朝の王イムタが死去。シュルメが王位を継承する。
前2193年
アッカド帝国の王シャル・カリ・シャッリが、粘土板で撲殺されるという方法で暗殺され、統一王朝としてのアッカドの歴史は終わりを遂げた。
この機会を逃さず、グティ朝はアッカドに侵攻。
同様に、ウルニギンがアッカドから独立し、ウルク第4王朝を建国。
また、おそらくこの時に、キクイドがアッカドから独立し、ラガシュ第2王朝を建国。
前2192年
この時より、紀元前20190年までの3年間において、アッカド帝国は空位の状態として機能した。
王を名乗る者が乱立したといわれている。
シュメール王名表においては、この3年間に、イギギ/ナヌム/イミ(Emi)/イルルの4人が王となっていた。
前2190年頃
旱魃の影響でエジプト古王国が崩壊し、エジプト第1中間期に入った。
グティ王朝の王シュルメが死去。エルルメシュが王位を継承する。
前2189年
アッカド帝国の王としてデュデュ(ドゥドゥ)が即位して、国家を統一した。
前2186年
ウルク第4王朝の王ウルニギンが死去。ウル・ギギルが継承した。
前2184年
エジプト第6王朝のペピ2世が100歳を迎えて死去。
この時期までにエジプト各地の州侯は自立傾向を示し、旱魃により治安の悪化がみられる。
次の王として、メルエンラー2世(メルエンラー・アンティエムサフ2世)がエジプト王朝を統治。
グティ王朝の王エルルメシュが死去。イニマバケシュが王位を継承する。
前2183年頃
エジプト第6王朝メルエンラー2世が死去。 エジプト第6王朝をネチェルカラーが統治。
前2182年頃
エジプト第6王朝をネチェルカラーが死去。ネチェルカラーの死後、彼の姉妹であり妻でもあったニトケルティ(ニトクリス)が女王となった。
前2181年
エジプト第6王朝ニトケルティ女王が死去する。これにより、エジプト第6王朝が終わり、エジプト古王国時代が終わる。
ファラオの権威が失墜して古王国が崩壊し経済も荒廃した。
食料不足や施政の混乱で飢饉や内紛がエスカレートし、各地で豪族が乱立した。
彼らは独特の文化や経済を生み出し、王室限定とされてきた生活様式を我が物顔に取り入れては墓や宮殿を造り始めたりもした。
この時、エジプト古王国が終わり、エジプト第1中間期にはいる。
やがて豪族たちの間で権力闘争が起き、テーベを首都とする上流エジプト(Upper Egypt)とメンフィスを首都とする下流エジプト(Lower Egypt)に二極化する。
この時期の社会不安を記録したものとして『イプエルの訓戒』と呼ばれる文学作品ほかがある。
エジプト第7王朝において、メンフィスを拠点にネフェルカラー1世が統治。
しかしこの時期は、記録的によれば、非常に短い期間で第7王朝が衰退した。
エジプトの属国とされていた国々が自立し、この時期の王は70名を超えていたとある。
混乱した時代であり、安定する第11王朝までをエジプト第1中間期と定義。
前2180年頃
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー1世が死去。エジプト第7王朝において、ネフェルカラー・ネビ王が統治。
ウルク第4王朝の王ウル・ギギルが死去。クダが継承した。
前2179年頃
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー・ネビ王が死去。エジプト第7王朝において、ジェドカラー・シェマイ王が統治。
グティ王朝の王イニマバケシュが死去。イゲシャウシュが王位を継承する。
前2178年頃
エジプト第7王朝を統治していたジェドカラー・シェマイ王が死去。エジプト第7王朝において、ネフェルカラー・ケンドゥイ王が統治。
前2177年頃
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー・ケンドゥイ王が死去。エジプト第7王朝において、メレンホル王が統治。
前2176年頃
エジプト第7王朝を統治していたメレンホル王が死去。エジプト第7王朝において、スネフェルカー王が統治。
前2175年頃
エジプト第7王朝を統治していたスネフェルカー王が死去。エジプト第7王朝において、ニカラー王が統治。
前2174年頃
エジプト第7王朝を統治していたニカラー王が死去。エジプト第7王朝において、ネフェルカラー・テレル王が統治。
ウルク第4王朝の王クダが死去。
プズル・イリが継承した。
前2173年
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカラー・テレル王が死去。エジプト第7王朝において、ネフェルカホル王が統治。
エジプト第7王朝を統治していたネフェルカホル王が死去。
これにより、エジプト第7王朝が終わる。
ウアジカラー王が即位し、エジプトに新王朝を起こす。
これによりエジプト第8王朝が始まった。
エジプト第8王朝において、ウアジカラー王が統治。
ウルニギンが、ウルク第4王朝を建国。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたウアジカラー王が死去。エジプト第8王朝において、スネフェルカー・アヌ王が統治。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたスネフェルカー・アヌ王が死去。エジプト第8王朝において、カカラー・イビィ王が統治。
前2168年
ウルク第4王朝の王プズル・イリが死去。ウル・ウトゥが継承した。
前2168年
アッカド帝国の王ドゥドゥが死去。息子のシュ・ドゥルル(シュ・トゥルル)が継承した。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたカカラー・イビィ王が死去。エジプト第8王朝において、ネフェルカウラー王が統治。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたネフェルカウラー王が死去。エジプト第8王朝において、ネフェルカウホル王が統治。
前2164年頃
ウル・バウがラガシュの民を取りまとめ、指導者となる。
前2163年頃
ウルク第4王朝がグティ朝によって打ち倒される。
前???年頃
エジプト第8王朝を統治していたネフェルカウホル王が死去。
エジプト第8王朝において、ネフェルイルカラー王が統治。
前2160年頃
クレタ島で中期ミノア時代が始まった。
前2160年
エジプト第8王朝を統治していたネフェルイルカラー王が死去。
これによりエジプト第8王朝が終わる。
上エジプトのヘラクレオポリス(古代エジプト語:ネンネス)侯ケティ1世が他の州侯を圧倒して王を称し、新王朝を起こした。
これによりエジプト第9王朝の時代が始まった。
首都をネンネス(ヘラクレオポリス)におき、混乱の最中にあったエジプト諸国を一時期は統一させたと記録されている。
おそらくこの時期より、過去の繁栄の記録を抹消すべく、時の権力者によって歴代の王墓が破壊されていく習慣が始まる。
前2158年
グティ王朝の王ヤルラガブが死去。イバテが王位を継承する。
前???年
エジプト第9王朝ケティ1世の知世末期において、テーベ侯メンチュヘテプ1世が、独自に勢力を拡大してアビュドス(上エジプト第8県)近辺より南の地域を支配下に収める。
前2153年
グティ王朝の王イバテが死去。イアルラが王位を継承する。
前2153年
アッカド王朝が干ばつの被害にあい、滅亡する。
前2152年
グティ王朝の王イアルラが死去。クルムが王位を継承する。
前2151年
グティ王朝の王クルムが死去。アピキンが王位を継承する。
前2150年
ウル・バウがラガシュの民を取りまとめ、親グティ的な政策を行い、地位を確立する。
グティ王朝からの圧力を回避する事に努め、結果としてラガシュ王朝を再興した。
前2150-2030年頃
ギルガメシュ叙事詩が書かれた。
紀元前2600年ごろ、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王ギルガメシュが主人公となっている。
歴史文献という観点で実際の内容を読み解いていくと、実際の編簿は紀元前3000年〜2000年間において行われていたと考えられている。
前2148年
グティ王朝の王アピキンが死去。ラエラブムが王位を継承する。
前2146年
グティ王朝の王ラエラブムが死去。イラルムが王位を継承する。
前???年
エジプト第9王朝においてアクトエス王が統治。
マネトの記録によれば、アクトエスは以前の王達より残酷に振る舞い、全てのエジプト人に災難を齎した。
そして最後は発狂し、ワニに殺されたと記録している。
前2144年
ラガシュ第二王朝の王ウル・バウが死去。ウル・バウの娘ニッラの夫であったグデアが王位を継承した。
グティ王朝の王イラルムが死去。イブラヌムが王位を継承する。
前2143年
グティ王朝の王イブラヌムが死去。ハブルムが王位を継承する。
前2144年
グティ王朝の王ハブルムが死去。息子のプズル・スエンが王位を継承する。
グティ王朝の王ハブルムが侵攻したのか、息子のプズル・スエンが侵攻したのかは不明。
前2138年
プレアデス星間リーグ/マイア星系が、フォトンベルトから抜出。
バビロンで5月9日に日食、5月24日に月食が起こった。
前2134年
テーベ侯メンチュヘテプ1世が息子のアンテフ1世に政権を継承する。
グティ王朝の王プズル・スエンが死去。
ヤルラガンダが王位を継承する。
前2133年
テーベ侯アンテフ1世が、テーベ(現ルクソール)を拠点に新王朝をおこす。
これによりエジプト第11王朝が始まった。
アンテフ1世は、補ホルス名を「セヘルタウィ(両国に平和を齎す者)」として、代々これを継承する事とした。
前2130年
エジプト第9王朝を統治していた19人目の王が死去する。
これにより、エジプト第9王朝が終わった。
新たな王が分化と王統を継承し、新王朝を起こした。
これによりエジプト第10王朝が始まった。
エジプト第10王朝もまた記録が乏しく、19人の王がいた事を示すのみである。
前2127年
グティ王朝の王ヤルラガンダが死去。次の者が王位を継承する。(名は記されていない)
前2124年
ラガシュ第二王朝の王グデアがが死去。息子のウル・ニンギルスが後を継いだ。
前2120年頃
現在パリのルーヴル美術館に収蔵されている、グデアの奉納像がラガシュで作られた。
前2120年頃
グティ王朝の王が死去。
次の者が王位を継承する。(名は記されていない)この王が即位して40日後、ウトゥ・ヘガルが、グティ朝に侵攻し、王を打ち倒す。
これにより、グティ朝が滅亡する。
後世の碑文によれば、グティ王朝の最期の王は、ティリガンという名で記されている。しかし、この碑文の内容自体は、民話のような内容で記されているため、実在性には欠けると言われている、
前2119年
ウトゥ・ヘガルがウルク第5王朝を建国する。
前2117年頃
エジプト第11王朝を統治していたアンテフ1世(セヘルタウィ王)が死去。
エジプト第11王朝において、アンテフ2世(ワハアンク王)が統治。
前2116-2110年
ウルクとグティの間で戦争が起こった。
前2113年
ウトゥ・ヘガルはウルク第5王朝を建国したものの、これを維持する事ができなかった。
ウトゥ・ヘガルの娘婿(義理の息子)であるウルナンムが、シュメールの王としてその統治を継承した。ウトゥ・ヘガルの没後、ウルナンムは、ウルの王となりウトゥ・ヘガルの後継者の地位を占めた。
ウルク第5王朝の王ウトゥ・ヘガルの息子/将軍であり、ウルを統治していたウル・ナンムがウル第3王朝を樹立。ウル・ナンム法典と呼ばれる法典を制定した。
彼は独立状態にあった他のシュメール都市国家を次々と打ち破り統合していったが、その具体的な過程は殆ど知られていない。僅かにラガシュ第2王朝の王ナンマハニを打倒したことが記録に残るのみである。しかし、ウル・ナンムによって行われた建築事業がウルク、ニップル、ラルサなどで確認されており、ウル・ナンムが広い範囲に支配権を及ぼしたことは確実である。彼はメソポタミアの覇権を握ったあと、盛んに建築事業を行った。特にアッカド王朝滅亡以来の動乱によって損傷した各地のジッグラトを再建し、また拡張した。彼が建設したウル市の月神ナンナの神殿は、それ以前のあらゆる建造物より巨大に作られている。また彼はウル・ナンム法典と呼ばれる法典を制定した。これは現在知られている中では現存する最古の法典集。
彼の治世中に一通り王朝の基盤が整ったと考えられる。彼の死後王位を継ぐ息子のシュルギらウル・ナンムの後継者達によってウル第3王朝は繁栄を謳歌し、シュメール文化の黄金時代を築くこととなる。
ナンムという名は海の女神ナンムから取られており、自らを「女神ナンムの召使」と称した。
前2109年
メトシェラの息子メレクが777歳において死去。
前2104年
ノアの箱舟が完成する。
大洪水が起こる。
旧約聖書「創世記」によると、エノクの息子メトシェラが969歳において亡くなる。
その直後、大洪水が起こった。(2015年時点では最有力節)
ノアの方舟「アーク」に乗った生き物を除き、
地上にあった全ての生き物は、大洪水によって滅ぼされた、とある。
その後箱舟はアララト山(現トルコ)の上にとまった。
『創世記』のノアの方舟の物語によれば、エデンを離れてから何代かを経て、ネフィリムが生まれ堕落し、お互いに争うようになった。
ヤハウェ・エロヒムは人間を作ったことを後悔し始め、全てを払拭するために大洪水を起こすことを決めた。
ヤハウェは地上にただ一人、救う価値のある男性ノアを見出した。
そこでヤハウェはノアに特別な大きさと設計の方舟を作るように告げた。
方舟に乗せたのは、彼の妻、彼の三人の息子のセム、ハム、ヤペテ と彼らの妻、清い動物と鳥を雌雄7つがい(7匹か7組かの記述が異なる場合がある)、そうでない動物を2つがい、必要な食べ物すべてと苗木で、人間はもう一度白紙から始めるのである。
ノアが600歳になった年、アダムの創造から1656年後、ヤハウェは大洪水を起こした。
その説明によると、洪水は(1)40日間「天の水門」より降り続いた雨(これは『創世記』における最初の雨に関する言及である)と、(2)「とても深い泉」の水から生じている。
『創世記』の文を分析すると、空(蒼穹)の上に、天上の海ともいうべき大きな水のかたまりを想定していたのではないかと推測される。
「水の間に空間を作って水と水とを隔てなさい。」エロヒムは空間を作って、空間の下の水と空間の上の水とを隔てた。そしてそうなった。エロヒムは空間を「空」と呼んだ。
洪水の水は150日間地上を覆った。
その月の17日目に、方舟はアララト山の上に流れ着いた。 10か月め、その月の初日に、山の頂が見えた。
前2103年
ノアが601歳になった年、最初の月、最初の日に地表が乾いた。次の月の21日目には地が乾き、ヤハウェはノアに方舟を離れるよう指示した。
セム100歳の時、息子/アルパクサデが生まれる。洪水が発生後に生まれた初の子供。
洪水ののち、ノアは清い動物を供物にささげ、ヤハウェは、人間は幼いときから邪悪な性癖を持って生まれるのだからと、洪水で地上のすべてを破壊することは二度としないと約束し、自然の摂理を支えることを自身に約束した。
神はノアとこの契約を交わし、これにより人々はすべての動物に対する優越を与えられ、すでに命を宿していない肉を食べることを初めて許され、新しい法の元で地上に繁殖するよう指示される。
新しい法とは、人が誰かの血を流したら、彼自身の血も流されなければならない、というものである。
ヤハウェは雲に虹をかけて、この永久不滅の契約の印とするとともに、のちの世代へのよすがとした。
「40日間もの間雨が降り続き、洪水の水は150日間地上を覆った」
という現象から規模を推定するに、何か巨大なものが衝突した事によって噴煙が大空に巻き上げられ、一定の期間において太陽の光が地上に届かなかった状況が発生していたと考えられる。
この大洪水以後、人間の寿命が短縮されていく。
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前2102年頃
プズル・イリが、ウルク第4王朝を統治。
前2100年頃
中国最古の王朝である夏ができた。
ウル第3王朝がウル・ナンムによって建てられメソポタミアを支配した。
伝承:/
インドで、ヤーマヤーナ戦争が起こる。
(※ラーマ=クリシュナ:ヴィシュヌの7つ目のアヴァターラ(化身)と言われる。)
前2100-2050年頃
ウル遺跡のジッグラトが建設された。
前2094年
ウル・ナンムに代わり、シュルギがウル第3王朝を統治した。
教養豊かな王として知られ、48年間にわたる治世の間にウルは著しく発展した。名前は「高貴な青年」の意。
前2080年
エジプト第9王朝で戦争が始まった。
エジプト第1中間期が終了し、エジプト中王国が興った。
前2071年
アイルランド神話に記録された最初の戦争であるMagh Itheが始まった。
前2070年
中国で禹が夏を建国した。
前2069年頃
アルパクサデ35歳の時、息子シェラが生まれる。
エジプト第11王朝を統治していたアンテフ2世(ワハアンク王)が死去。
エジプト第11王朝において、アンテフ3世(ナクトネブテプネフェル王)が統治。
前2064-1986年
エジプトの2つの王朝の間で戦争が始まった。
前2060年頃
エジプト第11王朝を統治していたアンテフ3世(ナクトネブテプネフェル王)が死去。
エジプト第11王朝において、ネブヘテプラー・メンチュヘテプ2世(スアンクイプタウィ王)が統治。
前2055年頃
エジプト第1中間期が終了した(紀元前2040年との説もある)。
エジプト第11王朝(上流エジプト)のメンチュヘテプ2世が、メンフィスを首都とする下流エジプトを打ち破った。
これにより、古代エジプトは再び融和した(紀元前2040年との説もある)。
この時点により、エジプト中王国の定義となる。
メンチュヘテプ2世がファラオとなり統治を始めた。
ウトゥ・へガルがウルクを統治し、ウルク第5王朝を建国。
前2049年
シーヘンジのカシの木が倒れた。
前2046年
シュルギに代わり、アマル・シンがウル第3王朝を統治した。
兄弟のシュ・シンと争い王位を奪われた。名前は「シン神の仔牛」の意味である。
アマルはシュメール語であるが、シンはアッカド語であり、メソポタミアにおけるアッカド語の普及が進展していたことが見て取れる。
エジプト第11王朝メンチュヘテプ2世が、ホルス名を「ネチェルヘジェト」と改名した。
前2040年頃
エジプト第1中間期が終了し、エジプト中王国が興った。
ウル第3王朝アマル・シンの息子シュ・シンが反乱を起こし、王を名乗る。
王妃アビシムティはアマル・シンを見限り、シュ・シンの反逆に手を貸した。
前2040年
メリカラーが死に、エジプト第10王朝が終了。
この時、エジプト第1中間期が終わり、エジプト中王国にはいる。
メンチュヘテプ2世がエジプト第11王朝を興す。
前2039年頃
シェラ30歳の時、息子エベルが生まれる。
その後にヨクタンが生まれる。
前2037年
アマル・シンが殺害され(病死とするものもある)、シュ・シンが王位を奪いアマル・シン派の官僚たちは失脚した。
アマル・シンに代わり、シュ・シンがウル第3王朝を統治した。
前2034-2004年
ウルとアムルの間で戦争が起こった。
前2030年
シュ・シンに代わり、イビ・シンがウル第3王朝を統治した。
前2021年
エジプト第11王朝メンチュヘテプ2世が、ホルス名を「スマタウィ」と改名した。
前2017年
アムル人イシュビ・エッラがイシン市を拠点に独立し、イシン第1王朝を建国。
前2010年
エジプト第11王朝を統治していたネブヘテプラー・メンチュヘテプ2世が死去。
エジプト第11王朝において、スアンクカラー・メンチュヘテプ3世(スアンクタウィエフ王)が統治。
前2009-1997年頃
メンチュヘテプ3世の墓が建設された。エジプト第11王朝が興った。
前2004年
メンチュヘテプ2世が死去。
エベル34歳の息子ペレグが生まれる。
バベルの塔破壊
エラムがウルを破壊した。
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オリオン・グループ、ディアスポラ(離散)を時期に、地球上を立ち去る。
旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れてカナンの地(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。
彼らは「移住民」という意味のヘブライ人と呼ばれたらしいが、バビロニア(神の門)/そしてバベルの塔が、ウル付近にあった(もしくはジグラットそのものではないか)という事を考えると、この時すでにディアスポラの後に彼らが移動を始めたのが理にかなっているように思える。
現時点でのディアスポラとはコミュニティを意味するものであるらしく、ギリシャ人、フェニキア人、アルメニア人、華人、近代奴隷制によって新大陸に連れてこられたアフリカ人の子孫にもこのように定義されているらしい。
カナンの地に移動したのは、フェニキア人(彼らもまたヘブライ人)という事になる。
ちなみに、創世記の記述では、バベルの塔が崩れたという事は記載されていない。混乱がもたらされたとある。
ミノア文明が興る。
ヨーロッパは青銅器時代を迎える。
エチオピアから農民と牧畜民がケニアに移住。メソ・アメリカ各地で定住農村村落の成立。
メソアメリカ、先古典期。( - 紀元後300年)