金剛薩埵(こんごうさった)にまつわる壮絶な話

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これは、海外でのある大学の教授を努めていた知人から、教えていただいた話です。

仏教の世界観として、知られていそうで
実のところあまり知られていない内容でしたので、
ここぞとばかりに掲載してみました。

仏教には、様々な仏様がいらっしゃいますが、その多くは神様といった類ではなく、
修行僧の位とその様子を表しているものです。

例えば、観音菩薩という仏様がいらっしゃいます。正式名称としては「観自在菩薩(アヴァロキティ=シュバラ)」といい、経典においては様々な苦難に遭遇した時に、その名を呼び念じれば、たちどころに救いの手を差し伸べてくれる仏様であり、スピリチュアルの分野では、アセンデッド・マスターとして名を連ねています。

しかし、護摩行等を修される方たちなら知っての通り、菩薩とは涅槃に至る工程で修行をおこなう僧侶の段階を示した「品位」でもあるわけです。葬儀の際に付けられる戒名での「菩薩」の位が、まさに「あの世に至っても修行を行う位に達した」ので付けられるもの...という事は、葬儀の際の読経からも理解できます。

まあ、平たく考えれば、困った時に観音菩薩に祈った場合、その位に至ったご先祖さんが助けてくださっているみたいなイメージでしょうか。

それはともかくとして、あまり知られていないというのは、
菩薩のさらに上の位である「金剛薩埵(こんごうさった)」という菩薩についてです。

実のところ、「菩薩」とは実際に生きて修行をされている僧侶に与えられた品位です。
かつては、それを証明する神通力に近い能力を持ったモノに授けられたモノだったようです。

「金剛薩埵」とは「金剛菩薩」といい、「金剛」とは「強く光輝く」の意。
つまり、菩薩としての能力を持ち、さらに実際に全身から光を放つ現象を体現した修行僧に授与された品位の事だったようです。この修業法については、経典にも記載されているものだそうですが、それは本当に過酷な内容であるものなんだとか。

かつては実際に「金剛薩埵」の品位を授与された僧侶がいたそうです。
瞑想を始め、続いて定に入るとその姿が光り輝き出す、そんな現状を体現させた修行僧がいたという事ですね。
(全身の毛穴から光が放たれ、太陽のように光り輝くらしいので、もし目にする事があったとしても、少なくとも影らしきものはほぼなくなりそうな感じがします。)

しかし、その多くの修行僧は品位を授与した後に、すぐ自殺をされたのだとか。

かつての仏教における品位を定める律(法律のようなもの)は、その能力を体現できなくなると品位も降格するものだったらしく、そしてその能力の維持も大変に難しいものだったようです。何でもこの光を放つための行というのは、物理的な作用から何年もの蓄積を必要とするものであるらしく、それ故、品位が降格する事実自体に精神が耐えられない。それならば、いっそ自殺を選んでしまう、といった事のようですね。

現在の日本国内においては、こうした話はこの件以外に聞いた事はありませんが、「金剛界曼荼羅では釈迦が相手によって方便を持って説いた...」といったような話が当たり前のようにあったので、思い返してみても、改めてすごい話だなと思います。

ちなみに、「金剛薩埵」のサッタの漢字...

難しいです!
そもそもこれであってるのかな?